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目録ID mp200030-100030
文書名 旧藩御扶助被下候惣人別 1
文書名(カナ) きゅうはんおんふじょくだされそうろうそうにんべつ
文書名(ローマ字)
別名
別名(カナ)
別名(ローマ字)
文書名(欧文)
文書名に関する注記
差出・作成者 作成者不明
差出・作成者(カナ)
差出・作成者(ローマ字)
宛所
宛所(カナ)
宛所(ローマ字)
書写者
書写者(カナ)
書写者(ローマ字)
作成年 製作年不明
作成年終
数量 132丁
形状
寸法
寸法(縦) 25.8cm
寸法(横) 15.8cm
材質
形態に関する注記
保存状況
縮尺
その他の注記
言語 日本語
ISBN
ISSN
主題
主題(カナ)
主題(ローマ字)
関連する地域・場所
関連する地域・場所(カナ)
関連する地域・場所(ローマ字)
関連する人物・団体
関連する人物・団体(カナ)
関連する人物・団体(ローマ字)
内容年
内容年終
内容
内容(カナ)
内容(ローマ字)
解題・説明 明治元年(1868)9月22日、会津藩は降伏開城となり、籠城藩士は猪苗代へ、城外で終戦を迎えた藩士は塩川で謹慎幽閉となった。その後猪苗代組の藩士は東京へ、塩川組の藩士は越後高田で謹慎となり、明治2年1月護送された。一方で60歳以上15歳未満の男子と婦女子はお構いなし、無罪とされた。婦女子らは無罪となったものの、城下の屋敷は焼失し住む家も無かった。そこで新政府は若松近辺の農家を割り当て、籠城者へは救助米1人1日あたり米1升、城外避難者へは玄米5合に銭200文を支給した。この史料は、会津藩士の3,591家族(13,357人)の誰が、どこの村に割り当てられたかを記したものである。塩川局、御山(おやま)局、猪苗代局など15局に大別し、局ごとの村名、戸主姓名(戦没者名を含む)、家族人数がイロハ順に記されている。割り当てられた村は352村あるが、戸別の農家名までは不明である。【引用資料:「公益財団法人会津弔霊義会作成 寄贈史料解説」野口信一/作成、2017年】
解題・説明(英語)
来歴 平成29年6月、公益財団法人会津弔霊義会様より、財団法人創設100年を迎えた会津弔霊義会百周年記念事業の一環として会津図書館に「旧藩御扶助被下候惣人別 一」「旧藩御扶助被下候惣人別 二」「南部移転人別帳」「若松管内居残惣人別」計4冊が寄贈された。
来歴(英語)
所蔵機関 会津若松市立会津図書館
原資料の所在地 会津若松市立会津図書館
資料番号
管理記号
カテゴリ区分 古文書
資料種別 古文書
資料分類(大分類)
資料分類(中分類)
資料分類(小分類)
文化財情報
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参照データ
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自治体史掲載
出版物・関連資料
翻訳元の言語
権利関係・利用条件 CC BY(表示)
原資料の利用条件
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緯度・経度・高度に関する注記
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デジタル化の経緯に関する注記
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