解題・説明
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明治元年(1868)9月22日、会津藩は降伏開城となり、籠城藩士は猪苗代へ、城外で終戦を迎えた藩士は塩川で謹慎幽閉となった。その後猪苗代組の藩士は東京へ、塩川組の藩士は越後高田で謹慎となり、明治2年1月護送された。一方で60歳以上15歳未満の男子と婦女子はお構いなし、無罪とされた。婦女子らは無罪となったものの、城下の屋敷は焼失し住む家も無かった。そこで新政府は若松近辺の農家を割り当て、籠城者へは救助米1人1日あたり米1升、城外避難者へは玄米5合に銭200文を支給した。この史料は、会津藩士の3,591家族(13,357人)の誰が、どこの村に割り当てられたかを記したものである。塩川局、御山(おやま)局、猪苗代局など15局に大別し、局ごとの村名、戸主姓名(戦没者名を含む)、家族人数がイロハ順に記されている。割り当てられた村は352村あるが、戸別の農家名までは不明である。【引用資料:「公益財団法人会津弔霊義会作成 寄贈史料解説」野口信一/作成、2017年】
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