目録ID
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mp600001-100060
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タイトル
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融通寺 戊辰役西軍戦死者墳墓
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タイトル(カナ)
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ユヅウジ ボシンノエキ セイグン センシシャ フンボ
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タイトル(ローマ字)
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タイトル関連
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融通寺 招魂社
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タイトル関連(カナ)
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ユヅウジ ショウコンシャ
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タイトル関連(ローマ字)
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欧文タイトル
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タイトルに関する注記
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ユウツウジ,ユウヅウジ
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作成者
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飯岡耕太郎(写真師飯岡)
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作成者(カナ)
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イイオカ コウタロウ(シャシンシ イイオカ)
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作成者(ローマ字)
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出版・製作者
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出版・製作者(カナ)
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出版・製作者(ローマ字)
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製作年
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大正4年5月31日撮影
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製作年終
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数量
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1
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形状
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ガラス写真
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大きさ
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大きさ(縦)
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12.0cm
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大きさ(横)
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16.5cm
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媒体
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形態に関する注記
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保存状況
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縮尺
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その他の注記
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モノクロ 撮影日は『若松市史編纂事務所日記』による。
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言語
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日本語
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ISBN
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ISSN
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主題
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自然山 融通寺、西軍墓地
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主題(カナ)
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ジネンザン ユヅウジ、セイグンボチ
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主題(ローマ字)
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関連する地域・場所
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会津若松市大町
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関連する地域・場所(カナ)
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アイヅワカマツシオオマチ
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関連する地域・場所(ローマ字)
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関連する人物・団体
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浄縁,町野主水,西軍,会津弔霊義会
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関連する人物・団体(カナ)
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ジョウエン,マチノ モンド,セイグン,アイヅチョウレイギカイ
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関連する人物・団体(ローマ字)
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内容年
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内容年終
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内容
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内容(カナ)
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内容(ローマ字)
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解題・説明
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会津若松市大町にある浄土宗の寺院で、縁起によると承徳元年(1097)浄縁(じょうえん)により開山したと伝わる。最初は八葉寺村(現・会津若松市河東町)に自然山(じねんざん)融通寺と称して建てられ、当初は天台宗であったが、第五世の隆誉の時に浄土宗に改宗したという。葦名氏七代直盛の時代に小館(現・会津若松市本町)へ、蒲生氏郷(がもううじさと)の時代に大町名子屋町(現・会津若松市大町)へと移転した。慶長9年(1604)後陽成天皇から勅願所(ちょくがんしょ)として認められ、「融通寺」と書かれた扁額(へんがく)とご宸筆(しんぴつ)の和歌を与えられた。勅願所とは天皇の発願によって鎮護国家、国家鎮護や皇室繁栄を祈願する場所として建立された寺社のことである。戊辰戦争後、新政府軍の戦死者墓が建立され、明治2年(1869)4月には盛大な法要が行われた。翌3年(1870)9月若松県知事四条隆平らは戦没者追善のため石灯籠を建立し、この時に招魂社が建てられた。また、旧会津藩士で会津弔霊義会の初代会長を務めた町野主水(まちのもんど)とその一族の墓がある。
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解題・説明(英語)
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来歴
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来歴(英語)
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所蔵機関
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会津若松市立会津図書館
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原資料の所在地
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資料番号
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管理記号
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ガラス写真-75
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カテゴリ区分
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写真
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資料種別
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写真
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資料分類(大分類)
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資料分類(中分類)
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資料分類(小分類)
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文化財情報
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県指定重要文化財(工芸品)「木造扁額“融通寺”」昭和30年2月4日指定
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manifest.jsonへのURL
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参照データ
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関連ページURL
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関連画像URL
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自治体史掲載
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『若松市史』上巻、若松市、1941年、口絵写真
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出版物・関連資料
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翻訳元の言語
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権利関係・利用条件
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CC BY(表示)
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原資料の利用条件
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閲覧不可
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権利関係・利用条件に関する注記
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緯度・経度・高度に関する注記
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DOI
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既刊目録名
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デジタル化の経緯に関する注記
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