目録ID
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mp600011-100060
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タイトル
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蚕養国神社
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タイトル(カナ)
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コガイクニジンジャ
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タイトル(ローマ字)
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タイトル関連
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タイトル関連(カナ)
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タイトル関連(ローマ字)
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欧文タイトル
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タイトルに関する注記
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作成者
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飯岡耕太郎(写真師飯岡)
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作成者(カナ)
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イイオカ コウタロウ(シャシンシイイオカ)
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作成者(ローマ字)
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出版・製作者
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出版・製作者(カナ)
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出版・製作者(ローマ字)
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製作年
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大正4年頃撮影
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製作年終
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数量
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1枚
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形状
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ガラス写真
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大きさ
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大きさ(縦)
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16.4cm
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大きさ(横)
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12.0cm
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媒体
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形態に関する注記
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保存状況
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縮尺
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その他の注記
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モノクロ 撮影日は『若松市史編纂事務所日記』により推測したもの。
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言語
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日本語
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ISBN
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ISSN
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主題
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蚕養国神社
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主題(カナ)
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コガイクニ ジンジャ
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主題(ローマ字)
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関連する地域・場所
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会津若松市蚕養町
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関連する地域・場所(カナ)
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アイヅワカマツシ コガイマチ
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関連する地域・場所(ローマ字)
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関連する人物・団体
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関連する人物・団体(カナ)
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関連する人物・団体(ローマ字)
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内容年
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内容年終
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内容
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内容(カナ)
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内容(ローマ字)
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解題・説明
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蚕養国神社は諏方神社と共に会津六社の一つであり、日本で一社しかない珍しい名である。 嵯峨天皇の御代弘仁2年(811)に鎮座、官社の名簿・一覧である「延喜式神明帳」(えんぎしきじんみょうちょう)に記されており、会津郡としては、伊佐須美神社(会津美里町)と蚕養国神社の二座のみである。 その後戦火や火災により、祠は無くなり荒地となっていたが、寛文7年(1667)7月初代会津藩主保科正之(ほしなまさゆき)が社殿などを造営し、寛文9年(1669)遷宮式が執り行われ、寛保2年(1742)には正一位の宣下があった。しかし文化4年(1807)社殿が焼失し、文政2年(1819)会津藩8代藩主松平容敬(まつだいら かたたか)によって正之公創立のものに写して社殿を造営した。 養蚕の神として信仰を集め、かつては製糸業や繊維業関係の参詣者が多く訪れたという。社殿前のエドヒガン「峰張桜(みねはりざくら)」は樹齢1,000年以上とされ、幹周約5.6mもあり、会津若松市指定の天然記念物である。
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解題・説明(英語)
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来歴
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来歴(英語)
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所蔵機関
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会津若松市立会津図書館
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原資料の所在地
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資料番号
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管理記号
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ガラス写真-100
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カテゴリ区分
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写真
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資料種別
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写真
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資料分類(大分類)
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資料分類(中分類)
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資料分類(小分類)
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文化財情報
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市指定文化財(天然記念物) 峰張ザクラ 平成9年3月18日指定
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manifest.jsonへのURL
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参照データ
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関連ページURL
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関連画像URL
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自治体史掲載
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『若松市史』上巻、若松市、1941年、口絵写真
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出版物・関連資料
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翻訳元の言語
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権利関係・利用条件
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CC BY(表示)
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原資料の利用条件
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閲覧不可
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権利関係・利用条件に関する注記
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緯度・経度・高度に関する注記
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DOI
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既刊目録名
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デジタル化の経緯に関する注記
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