解題・説明
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甲賀町通りを、鐘撞堂の北側から南方面に向けて撮影した写真である。南は本一之丁大手口(追手口)から、北は甲賀町口郭門に至る通りで、通りの長さ約585.5m、道幅約18.2mあった。蒲生氏郷の時代は日野町通りといわれたが、その後加藤嘉明が入封した後、日野町から甲賀町に改められたという。右手に写る石垣は、甲賀町口郭門跡である。若松城下の郭内と郭外を隔てる十六郭門のうち、唯一現存するもので、西側の石垣のみが残されている。「会津藩参勤交代行列図」には、江戸から若松城下に到着し、甲賀町口郭門を通過しようとする様子が描かれている。明治5年(1872)11月、この石垣の上に鐘楼を建て鶴ヶ城の帯郭にあった鐘を移したが、昭和16年(1941)8月鶴ヶ城に戻された。甲賀町口郭門跡は、平成5年(1993)10月29日に、国指定史跡「若松城跡」として追加登録された。
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