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目録ID mp600018-100060
タイトル 甲賀町通り・鐘撞堂
タイトル(カナ) コウカマチ ドオリ カネツキドウ
タイトル(ローマ字)
タイトル関連
タイトル関連(カナ)
タイトル関連(ローマ字)
欧文タイトル
タイトルに関する注記
作成者
作成者(カナ)
作成者(ローマ字)
出版・製作者
出版・製作者(カナ)
出版・製作者(ローマ字)
製作年
製作年終
数量 1点
形状 鶏卵紙写真
大きさ
大きさ(縦) 6.0cm
大きさ(横) 9.0cm
媒体
形態に関する注記
保存状況
縮尺
その他の注記 モノクロ
言語
ISBN
ISSN
主題 甲賀町通り
主題(カナ) コウカマチ トオリ
主題(ローマ字)
関連する地域・場所 会津若松市栄町
関連する地域・場所(カナ) アイヅワカマツシ サカエマチ
関連する地域・場所(ローマ字)
関連する人物・団体
関連する人物・団体(カナ)
関連する人物・団体(ローマ字)
内容年
内容年終
内容
内容(カナ)
内容(ローマ字)
解題・説明 甲賀町通りを、鐘撞堂の北側から南方面に向けて撮影した写真である。南は本一之丁大手口(追手口)から、北は甲賀町口郭門に至る通りで、通りの長さ約585.5m、道幅約18.2mあった。蒲生氏郷の時代は日野町通りといわれたが、その後加藤嘉明が入封した後、日野町から甲賀町に改められたという。右手に写る石垣は、甲賀町口郭門跡である。若松城下の郭内と郭外を隔てる十六郭門のうち、唯一現存するもので、西側の石垣のみが残されている。「会津藩参勤交代行列図」には、江戸から若松城下に到着し、甲賀町口郭門を通過しようとする様子が描かれている。明治5年(1872)11月、この石垣の上に鐘楼を建て鶴ヶ城の帯郭にあった鐘を移したが、昭和16年(1941)8月鶴ヶ城に戻された。甲賀町口郭門跡は、平成5年(1993)10月29日に、国指定史跡「若松城跡」として追加登録された。
解題・説明(英語)
来歴
来歴(英語)
所蔵機関 会津若松市立会津図書館
原資料の所在地
資料番号
管理記号 鶏卵紙写真-1
カテゴリ区分 写真
資料種別 写真
資料分類(大分類)
資料分類(中分類)
資料分類(小分類)
文化財情報 国指定文化財(史跡)「若松城跡」平成5年(1993)10月29日
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参照データ
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自治体史掲載
出版物・関連資料
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権利関係・利用条件に関する注記 クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
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緯度・経度・高度に関する注記
DOI
既刊目録名
デジタル化の経緯に関する注記
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