/ 35ページ
画像
IIIFビューア
目録ID mp600025-100060
タイトル 御薬園
タイトル(カナ) オヤクエン
タイトル(ローマ字)
タイトル関連
タイトル関連(カナ)
タイトル関連(ローマ字)
欧文タイトル
タイトルに関する注記
作成者 飯岡耕太郎(写真師飯岡)
作成者(カナ) イイオカ コウタロウ(シャシンシイイオカ)
作成者(ローマ字)
出版・製作者
出版・製作者(カナ)
出版・製作者(ローマ字)
製作年 大正4年6月5日撮影
製作年終
数量 1枚
形状 ガラス写真
大きさ
大きさ(縦) 12.0cm
大きさ(横) 16.3cm
媒体
形態に関する注記
保存状況
縮尺
その他の注記 モノクロ
撮影日は『若松市史編纂事務所日記』による。
言語 日本語
ISBN
ISSN
主題 会津松平氏庭園御薬園
主題(カナ) アイヅマツダイラシ テイエン オヤクエン
主題(ローマ字)
関連する地域・場所 会津若松市花春町
関連する地域・場所(カナ) アイヅワカマツシ ハナハルマチ
関連する地域・場所(ローマ字)
関連する人物・団体
関連する人物・団体(カナ)
関連する人物・団体(ローマ字)
内容年
内容年終
内容
内容(カナ)
内容(ローマ字)
解題・説明 御薬園は花春町にある松平氏の庭園で、永享4年(1432)芦名盛久(あしなもりひさ)が霊泉の湧き出た当地に別荘を建てたのが始まりとされる。
寛永20年(1643)会津藩主となった保科正之(ほしなまさゆき)は、庭園を整備し保養所として使用するようになった。寛文10年(1670)二代藩主保科正経(ほしなまさつね)は領民を疫病から救うため園内で薬草を栽培した。元禄9年(1696)三代藩主松平正容(まつだいらまさかた)は近江から園匠の目黒浄定(めぐろじょうてい)を招き回遊式の借景園を築庭させた。この時代、薬草の栽培が増え御薬園と呼ばれるようになった。また幕府からもらい受けた種で朝鮮人参の栽培が始まり、この人参はオタネニンジンと呼ばれた。戊辰戦争の際には新政府軍の治療所として使われたため戦火を逃れ、昭和7年(1932)に国の名勝指定を受けた。
写真は心字の池の中島に建つ楽寿亭(らくじゅてい)で、数寄屋風茅葺の平屋造りである。主に藩主や藩重役の納涼や休息の場であり、茶席や密議の場としても使われていた。
解題・説明(英語)
来歴
来歴(英語)
所蔵機関 会津若松市立会津図書館
原資料の所在地
資料番号
管理記号 ガラス写真-25
カテゴリ区分 写真
資料種別 写真
資料分類(大分類)
資料分類(中分類)
資料分類(小分類)
文化財情報 国指定文化財(名勝) 会津松平氏庭園 昭和7年10月19日指定
manifest.jsonへのURL
参照データ
関連ページURL
関連画像URL
自治体史掲載 『若松市史』下巻、若松市、1942年、口絵写真
出版物・関連資料
翻訳元の言語
権利関係・利用条件 CC BY(表示)
原資料の利用条件 閲覧不可
権利関係・利用条件に関する注記 クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
この 作品 はクリエイティブ・コモンズ 表示 4.0 国際 ライセンスの下に提供されています。
緯度・経度・高度に関する注記
DOI
既刊目録名
デジタル化の経緯に関する注記
/ 35ページ