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目録ID mp600029-100060
タイトル 善龍寺山門
タイトル(カナ) ゼンリュウジサンモン
タイトル(ローマ字)
タイトル関連
タイトル関連(カナ)
タイトル関連(ローマ字)
欧文タイトル
タイトルに関する注記
作成者 飯岡耕太郎(写真師飯岡)
作成者(カナ) イイオカ コウタロウ(シャシンシイイオカ)
作成者(ローマ字)
出版・製作者
出版・製作者(カナ)
出版・製作者(ローマ字)
製作年 大正4年6月1日撮影
製作年終
数量 1枚
形状 ガラス写真
大きさ
大きさ(縦) 12.0cm
大きさ(横) 16.4cm
媒体
形態に関する注記
保存状況
縮尺
その他の注記 モノクロ
撮影日は「若松市史編纂事務所日記」による。
言語 日本語
ISBN
ISSN
主題 祥雲山善龍寺山門
主題(カナ) ショウウンザン ゼンリュウジ サンモン
主題(ローマ字)
関連する地域・場所 会津若松市北青木
関連する地域・場所(カナ) アイヅワカマツシ キタアオキ
関連する地域・場所(ローマ字)
関連する人物・団体 広林 大雄徳明
関連する人物・団体(カナ) コウリン ダイユウトクミョウ
関連する人物・団体(ローマ字)
内容年
内容年終
内容
内容(カナ)
内容(ローマ字)
解題・説明 善龍寺は会津若松市北青木にある曹洞宗の寺院である。
特徴的な白いアーチ仕立ての木造の山門は、寛政年間(1789~1800)に第十一世の住職である大雄得明和尚によって建立された。戊辰戦争の戦火で伽藍(がらん)は焼失したが、この山門だけが焼け残った。山門楼上には西国三十三観音像がコの字型に並んで安置されている。
善龍寺は保科家の祖筑前守正則の霊を祀った寺で、保科正之が信州高遠から山形最上に転封となり、寛永20年(1643)山形から会津に国替えとなったときに従い、若松城下の南花畑に寺を建てた。第十一世の大雄得明和尚のとき七堂伽藍を建立し、会津曹洞宗の僧録司となる。
昭和52年に建立された本堂の北側には『奈与竹の碑』が建てられている。これは戊辰戦争時、自邸において自刃した会津藩家老西郷頼母の妻千重子(34歳)の辞世の句「なよ竹の風にまかする身ながらもたわまぬ節はありとこそきけ」によるものである。碑は戦役による婦女子の殉難者の霊を供養するために、昭和3年に嫋竹会(なよたけかい)によって建てられた。碑の裏面には戊辰戦争殉難婦女子、233人の姓名が刻まれている。寺の東側の山の墓地には西郷頼母と妻千重子の墓、その一族の「二十一人之墓」がある。
解題・説明(英語)
来歴
来歴(英語)
所蔵機関 会津若松市立会津図書館
原資料の所在地
資料番号
管理記号 ガラス写真-79
カテゴリ区分 写真
資料種別 写真
資料分類(大分類)
資料分類(中分類)
資料分類(小分類)
文化財情報 「善龍寺の山門」会津若松市指定有形文化財(建造物)平成13年1月23日指定
manifest.jsonへのURL
参照データ
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自治体史掲載 『若松市史』上巻、若松市、1947年、口絵写真
出版物・関連資料
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デジタル化の経緯に関する注記
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