解題・説明
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絵はがきにある手前の石垣は若松城太鼓門の一部で、奥にある石垣は天守台である。和服姿の二人の女性が太鼓門から本丸へ向かって歩く姿が写っている。 天守台に建立していた天守閣は明治7年(1874)に取り壊され、この写真には写っていないが、昭和35年(1960)に再建され現在に至っている。 太鼓門は、北出丸から椿坂(つばきざか)を登り詰め、右折して本丸帯廓(おびくるわ)に通じる大手門のことで、多門櫓(たもんやぐら)という櫓が建てられていた。そこに直径約1.8mの大太鼓を置き、藩士たちが登城する時やその他の合図に使われたため太鼓門と呼ばれた。櫓を支えるための柱の跡が、左右両方の石垣に三本ずつ残っている。
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