解題・説明
|
若松町会は連隊の誘致を計画し、明治29年(1896)兵営設置の建白書を陸軍大臣に提出した。明治40年(1907)、若松市への兵営設置が内定し、明治41年(1908)わずか工期1年で若松市栄町一帯に兵営が建設された。同年6月、歩兵第六十五連隊が若松に入営し軍都若松が誕生した。兵舎は明治41年(1908)11月にすべて完成し、付属の建物は翌年9月に完成した。営内には兵舎、連大隊本部、雪中演習所、縫靴工場など様々な建物があった。 第六十五連隊は朝鮮半島、中国、サガレン(樺太)に派遣されたが、大正14年(1925)5月、軍縮により廃止となる。その後、仙台の歩兵第二十九連隊が駐屯し、昭和12年(1937)満州に派遣され、日中戦争関連の作戦に従事した。その後、太平洋戦争のジャワ、ガダルカナル島、ビルマ、仏領インドシナへ転戦した。 また、第六十五連隊が再編制され若松の兵舎に入営するが、すぐに華中に派遣、南京攻略、徐州会戦に参戦。太平洋戦争では大陸での作戦に従事した。その後も戦争拡大に伴い、若松連隊で編制された部隊が戦地に出征していった。歩兵第八十五連隊、第二百十四連隊、第百二十九連隊、本土防衛部隊の第百五十五連隊、第四百七連隊、第五百五連隊などが編制された。若松連隊は終戦とともに廃止され、旧兵舎にはアメリカ進駐軍が駐留した。進駐軍の引き揚げ後は困窮者や引揚者の仮住居になった。
|