解題・説明
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一箕町にある飯盛山(いいもりやま)の厳島神社へと続く旧参道、鳥居の写真で、和服姿の人が歩く姿が写っている。 飯盛山は標高約370m、飯を盛った形に似ていることからその名が付いた。 山麓に弁財天を祀った厳島神社があることから藩政時代は「弁天山」とも呼ばれていた。山中には円通三匝堂(さざえ堂)、宇賀神社、太夫桜(たゆうざくら)、戸ノ口堰洞門などがあり、慶応4年(1868)8月23日白虎隊士中二番隊が自刃した地であり、白虎隊墳墓があることで有名である。 また佐原盛純(さわらもりずみ)作「白虎隊」の詩碑など多くの石碑も建立する。 大正14年(1925)には、山川健次郎らの尽力により大規模改修が行われた。
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