解題・説明
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写真中央に流れる川は、布引山(ぬのびきやま)を水源とする湯川(古くは黒川)で、温泉を通り鶴ヶ城の南側を西に流れている。 東山温泉は藩政時代「天寧寺の湯」といわれ、わらべ唄にも歌われて子どもから大人まで親しまれてきた。 東山温泉の起源については二説ある。 一つは天平年間(729-749)、僧の行基が陸奥への布教で会津を訪れたときに三本足の烏に導かれ黒川をさかのぼり湯泉を発見したという説。 その地が霊場であるとした行基は羽黒山に東光寺を建立したといわれる。 もう一つは天寧寺の則江湖という客僧によって発見されたとされる説。しかし天寧寺の開基は応永28年(1421)であるが、それ以前から温泉として知られていたので年代が合わない。 湯口が多くあるため、いずれかを発見したことでそのように言われているとも考えられる。 『新編会津風土記』によると、当時は総(惣)湯、猿湯、目洗(めあらい)湯、滝湯が知られており、とくに総湯は藩が整備し、きこりや農民などにも無料開放されていた。 明治33年(1900)に発行された『東山仙境』によると、湯口は総湯、猿湯、目洗湯、滝の湯、漣(さざなみ)の湯、菅(すが)の湯、こがの湯、穴湯、隅(すまこ)の湯、狐湯、貉(むじな)湯の11か所あった。 東山温泉を訪れた偉人・文人には吉田松陰、土方歳三、竹久夢二、与謝野晶子などがいる。 太平洋戦争時には学童疎開の子どもたちを受け入れ、戦後はアメリカの進駐軍が入った旅館もあったそうである。
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