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目録ID mp700320-100070
タイトル (会津)東山温泉の景
タイトル(カナ) アイヅ ヒガシヤマ オンセン ノ ケイ
タイトル(ローマ字)
タイトル関連
タイトル関連(カナ)
タイトル関連(ローマ字)
欧文タイトル THE VIEW OF HIGASHIYAMA HOT SPRING. IN AIZU
タイトルに関する注記
作成者
作成者(カナ)
作成者(ローマ字)
出版・製作者
出版・製作者(カナ)
出版・製作者(ローマ字)
製作年 明治40年~大正7年
製作年終
数量 1枚
形状
大きさ
大きさ(縦) 9.0cm
大きさ(横) 14.0cm
媒体
形態に関する注記
保存状況
縮尺
その他の注記 モノクロ
言語 日本語、英語
ISBN
ISSN
主題 東山温泉
主題(カナ) ヒガシヤマ オンセン
主題(ローマ字)
関連する地域・場所 会津若松市東山町
関連する地域・場所(カナ) アイヅワカマツシ ヒガシヤママチ
関連する地域・場所(ローマ字)
関連する人物・団体
関連する人物・団体(カナ)
関連する人物・団体(ローマ字)
内容年
内容年終
内容
内容(カナ)
内容(ローマ字)
解題・説明 写真中央に流れる川は、布引山(ぬのびきやま)を水源とする湯川(古くは黒川)で、温泉を通り鶴ヶ城の南側を西に流れている。
東山温泉は藩政時代「天寧寺の湯」といわれ、わらべ唄にも歌われて子どもから大人まで親しまれてきた。
東山温泉の起源については二説ある。
一つは天平年間(729-749)、僧の行基が陸奥への布教で会津を訪れたときに三本足の烏に導かれ黒川をさかのぼり湯泉を発見したという説。
その地が霊場であるとした行基は羽黒山に東光寺を建立したといわれる。
もう一つは天寧寺の則江湖という客僧によって発見されたとされる説。しかし天寧寺の開基は応永28年(1421)であるが、それ以前から温泉として知られていたので年代が合わない。
湯口が多くあるため、いずれかを発見したことでそのように言われているとも考えられる。
『新編会津風土記』によると、当時は総(惣)湯、猿湯、目洗(めあらい)湯、滝湯が知られており、とくに総湯は藩が整備し、きこりや農民などにも無料開放されていた。
明治33年(1900)に発行された『東山仙境』によると、湯口は総湯、猿湯、目洗湯、滝の湯、漣(さざなみ)の湯、菅(すが)の湯、こがの湯、穴湯、隅(すまこ)の湯、狐湯、貉(むじな)湯の11か所あった。
東山温泉を訪れた偉人・文人には吉田松陰、土方歳三、竹久夢二、与謝野晶子などがいる。
太平洋戦争時には学童疎開の子どもたちを受け入れ、戦後はアメリカの進駐軍が入った旅館もあったそうである。
解題・説明(英語)
来歴
来歴(英語)
所蔵機関 会津若松市立会津図書館
原資料の所在地
資料番号
管理記号 S7-エ-25
カテゴリ区分 静止画
資料種別 絵はがき
資料分類(大分類)
資料分類(中分類)
資料分類(小分類)
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自治体史掲載
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