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目録ID mp700520-100070
タイトル 鶴ヶ城追手口(古戦場)鐘楼附近に於ける大名行列 其六
タイトル(カナ) ツルガジョウオウテグチ(コセンジョウ)ショウロウフキンニオケル ダイミョウギョウレツ ソノロク
タイトル(ローマ字)
タイトル関連
タイトル関連(カナ)
タイトル関連(ローマ字)
欧文タイトル
タイトルに関する注記
作成者
作成者(カナ)
作成者(ローマ字)
宛先
宛先(カナ)
宛先(ローマ字)
製作者
製作者(カナ)
製作者(ローマ字)
製作年 昭和3年頃
製作年終
数量 1枚
形状 絵葉書
大きさ
大きさ(縦) 9.1cm
大きさ(横) 14.0cm
大きさ(高さ)
材質
形態に関する注記
保存状況
収録時間
縮尺
その他の注記 モノクロ
言語 日本語
ISBN
ISSN
主題 大名行列(白虎祭)
主題(カナ) ダイミョウギョウレツ(ビャッコマツリ)
主題(ローマ字)
関連する地域・場所 会津若松市栄町、甲賀町通り
関連する地域・場所(カナ) アイヅワカマツシ サカエマチ、コウカマチトオリ
関連する地域・場所(ローマ字)
関連する人物・団体
関連する人物・団体(カナ)
関連する人物・団体(ローマ字)
内容年 昭和3年
内容年終
内容細目
内容細目(カナ)
内容細目(ローマ字)
解題・説明 昭和3年(1928)頃に行われた大名行列(白虎祭)の絵葉書である。若松市内の甲賀町(こうかまち)通りにある甲賀町郭門跡(こうかまちかくもんあと)の側を通る馬に乗った藩主役の少年、その両脇にはお供役の青年、後ろから小姓(こしょう)役、茶坊主役が続き、通りの両側は観衆で埋め尽くされている。
初めて大名行列が行われた昭和3年(1928)は、旧会津藩主松平容保(まつだいら かたもり)の六男恒雄の長女勢津子(せつこ)と昭和天皇の弟・秩父宮雍仁(ちちぶのみや やすひと)親王のご成婚、また、明治戊辰(慶応4年・明治元年)から再び戊辰となる節目の年であった。
若松市の医師、清野賢氏が発起人となり、白虎隊士の慰霊祭を市の例祭にしたいと各方面に働きかけた結果、財団法人会津弔霊義会(あいづちょうれいぎかい)で行っていた七日町阿弥陀寺(あみだじ)の慰霊祭と白虎祭(白虎隊祭)は市祭と制定された。白虎隊(士中二番隊)が飯盛山(いいもりやま)で自刃した旧暦8月23日にあたる10月6日に阿弥陀寺慰霊祭、10月7日に白虎祭を行うこととし、白虎祭当日のイベントとして若松連合青年団を中心とした大名行列の開催が決定した。
あいにく10月7日、翌8日は雨天順延となり、10月9日ようやく開催の運びとなった。
当日の日程は、第三尋常小学校(現在の会津若松市立行仁小学校)で身支度を整えたあと、飯盛山の白虎隊士墳墓を参拝し、100名を超える青年団員が市内を練り歩いた。順路は、滝沢町→博労町→本六日町→上一ノ町→甲賀町→栄町一丁目→鶴ヶ城(昼食)→黒鉄門→大手門→旧一ノ丁→栄町四丁目→栄町三丁目→桂林寺町→赤井町→融通寺町→中川原町→川原町→材木町→住吉神社(30分休憩)→材木町→片柳町→烏橋→新横町→融通寺町→西名子屋町→北小路町→祝町→七日町四ツ谷→阿弥陀寺(参拝)→七日町→大町融通寺(参拝・小憩)→下五之町→馬場町→警察前→中一ノ町→上一ノ町→立三日町→本郷町→中六日町→堀井町→行人町→第三尋常小学校(解散)であった。
大名行列を行うためにかかった経費は約1,000円で、想定した予算の3倍以上だったという。経費の内、市から補助金200円を支出し、不足分は助役以下の市職員が寄付金を集めるために奔走した記事が当時の新聞(『新会津』)に掲載されている。
解題・説明(英語)
来歴
来歴(英語)
所蔵機関 会津若松市立会津図書館
原資料の所在地
資料番号 B-9
管理記号
カテゴリ区分 静止画
資料種別 絵はがき
資料分類(大分類)
資料分類(中分類)
資料分類(小分類)
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自治体史掲載
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デジタル化の経緯に関する注記
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