解題・説明
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写真中央やや左に写る門が、旧有栖川宮翁島別邸「天鏡閣」の表門、中央の建物が本館、左側の建物が別館である。 表門は煉瓦造りの柱門で、両開きの鉄柵扉を吊っている。 本館はルネサンス様式を基調とした洋風建築で、八角塔屋付きの木造二階建てである。外観のみならず、それぞれの部屋も意匠を凝らした優雅な造りになっている。 一階南側には、食堂、客間、撞球室(ビリヤードルーム)を配置し、二階は寝室、御座所、居間等のプライベートな一角となっている。 隣接する別館は、簡素ではあるが本館に倣った外観をしており、平常の管理用事務所、または宿泊所として使用したと考えられている。 明治40年(1907)8月、有栖川宮威仁(ありすがわのみや たけひと)親王が東北を旅行された際に猪苗代湖畔の長浜を訪れ、その景観の美しさに感銘を受け、この地に別邸を建設することを決定された。 明治41年(1908)8月に完成し、同年9月に皇太子・嘉仁(よしひと)親王殿下(後の大正天皇)が滞在された際に「天鏡閣」と命名された。唐の詩人・李白の詩句「明湖落天鏡(『めいこてんきょうにおち』または『めいこはてんきょうをおとして』)」に由来している。 大正12年(1924)に有栖川宮親王の亡き後、翌13年に高松宮宣仁(たかまつのみや のぶひと)親王に引き継がれた。 昭和27年(1952)、高松宮から福島県に譲渡され、昭和54年(1979)天鏡閣本館、別館、表門が国重要文化財の指定を受けた。 昭和57年(1982)修復工事が完了し、家具や調度品を復元、有栖川宮親王ゆかりの品々を館内に展示し、一般に開放している。
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