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目録ID mp750222-100070
タイトル 会津中ノ沢温泉硫黄製煉所全景
タイトル(カナ) アイヅ ナカノサワ オンセン イオウ セイレンジョ ゼンケイ
タイトル(ローマ字)
タイトル関連
タイトル関連(カナ)
タイトル関連(ローマ字)
欧文タイトル
タイトルに関する注記
作成者
作成者(カナ)
作成者(ローマ字)
出版・製作者 喜多方・白虎館写
出版・製作者(カナ) キタカタ ビャッコカン
出版・製作者(ローマ字)
製作年 昭和8年~戦前
製作年終
数量 1枚
形状
大きさ
大きさ(縦) 8.7cm
大きさ(横) 13.9cm
媒体
形態に関する注記
保存状況
縮尺
その他の注記 モノクロ
言語
ISBN
ISSN
主題 中ノ沢温泉
主題(カナ) ナカノサワオンセン
主題(ローマ字)
関連する地域・場所 猪苗代町
関連する地域・場所(カナ) イナワシロマチ
関連する地域・場所(ローマ字)
関連する人物・団体
関連する人物・団体(カナ)
関連する人物・団体(ローマ字)
内容年
内容年終
内容
内容(カナ)
内容(ローマ字)
解題・説明 日本硫黄株式会社が経営する、硫黄製錬所の風景写真である。

明治21年(1888)7月15日に磐梯山が噴火し、同年に渋沢一族が沼尻硫黄山鉱区を取得し、社長細野次郎、鉱山長渋沢仁之助の元、沼の平にて欧米式製錬法を用い事業を開始した。
しかし、明治33年(1900)7月17日、沼尻山が断続的に噴火、鉱山長はじめ従業員は巻き込まれ遭難殉職、事業所・施設等は倒壊埋没するという悲劇に見舞われた。その後しばらくは鉱山区に立ち入るものはいなかったが、明治37年(1904)には山田愼が鉱山を譲り受け、硫黄川渓間の近くに採鉱場を移転し、事業を開始した。
はじめ個人経営で操業していたものを、明治39年(1906)5月、「岩代硫黄株式会社」として会社組織にし、その後事業の拡大及び経営の充実や発展を図るため、明治40年(1907)4月、「日本硫黄株式会社」を設立した。硫黄の製錬は始め蒸気製錬法を採用していたが、コスト面の問題などから、昭和に入ると焼取製錬法が採用された。

開業当時、硫黄は国内外で様々な用途があり、需要が拡大していたため、仕事を求めた人々が集まった。製錬場周辺には多様な施設が整備され、病院や学校も設立された。

沼尻病院は、明治44年(1911)8月1日より診療を開始し、当初は製錬場で診療にあたったが、後に採鉱場にも医院を設け、従業員とその家族の私傷、公傷の治癒にあたったほか、近隣の外来患者の治療にもあたった。

私立沼尻鉱山尋常小学校は、明治45年(1912)3月1日に開校し、鉱山労働者の子どもが入学した。

大正に入ると、製錬場では硫黄の他に二硫化炭素の製品化に成功し、化学繊維の原料として国内生産の60%を占めた。

昭和43年(1968)に閉山し、現在製錬場のあった場所は、ゴルフ場が整備されている。

(「日本硫黄株式会社」については、絵はがき「(日本硫黄株式会社)岩代国沼尻採鉱場より鉄索停車場に致る軽便鉄道」を参照。)
解題・説明(英語)
来歴
来歴(英語)
所蔵機関 会津若松市立会津図書館
原資料の所在地
資料番号
管理記号 S10-エ-27
カテゴリ区分 静止画
資料種別 絵はがき
資料分類(大分類)
資料分類(中分類)
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自治体史掲載
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デジタル化の経緯に関する注記
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