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目録ID mp750223-100070
タイトル (日本硫黄株式会社)岩代国沼尻採鉱場より鉄索停車場に致る軽便鉄道
タイトル(カナ) ニホン イオウ カブシキガイシャ イワシロノクニ ヌマジリ サイコウジョウ ヨリ テッサク テイシャジョウ ニ イタル ケイベン テツドウ
タイトル(ローマ字)
タイトル関連
タイトル関連(カナ)
タイトル関連(ローマ字)
欧文タイトル LIGHT RAILWAY BETWEEN THE MINE AND ROPEWAY STATION AT NUMAJIRI.
タイトルに関する注記
作成者
作成者(カナ)
作成者(ローマ字)
出版・製作者
出版・製作者(カナ)
出版・製作者(ローマ字)
製作年 明治40年~大正7年頃
製作年終
数量 1枚
形状
大きさ
大きさ(縦) 9cm
大きさ(横) 14.1cm
媒体
形態に関する注記
保存状況
縮尺
その他の注記 モノクロ
言語
ISBN
ISSN
主題 沼尻硫黄鉱山
主題(カナ) ヌマジリ イオウコウザン
主題(ローマ字)
関連する地域・場所 猪苗代町
関連する地域・場所(カナ) イナワシロマチ
関連する地域・場所(ローマ字)
関連する人物・団体
関連する人物・団体(カナ)
関連する人物・団体(ローマ字)
内容年
内容年終
内容
内容(カナ)
内容(ローマ字)
解題・説明 沼尻軽便鉄道は、もともと地元での鉄道敷設が計画されていたが、資金面等により中断されていたものを、硫黄生産の増強に伴う大量運搬手段を必要としていた日本硫黄株式会社が明治45年(1912)2月に譲り受け、大正2年(1913)5月全線の竣工を遂げ、同年5月11日より鉄道の営業を開始した。開業当初は馬力で車両を運んでいたが、大正3年(1914)には蒸気機関車による運搬を行った。
硫黄運搬だけでなく、森林資源や食料、発電所建設の資材運搬、地元住民の足として重宝された。
昭和20年(1945)には耶麻軌道から地方鉄道となり、「軽便」「マッチ箱」と呼ばれ親しまれたが、石油の台頭による硫黄の減産に伴い鉱山が閉山すると、昭和43年(1968)10月14日に運転が休止され、昭和44年(1969)年3月に廃線となった。

現在、軽便鉄道で走っていた機関車と客車が、旧翁島駅舎裏(緑の村)に展示されており、丘灯至夫(作詞)、古関裕而(作曲)によって作られた「高原列車は行く」は、沼尻軽便鉄道がモデルになったといわれている。
解題・説明(英語)
来歴
来歴(英語)
所蔵機関 会津若松市立会津図書館
原資料の所在地
資料番号
管理記号 S1-エ-46
カテゴリ区分 静止画
資料種別 絵はがき
資料分類(大分類)
資料分類(中分類)
資料分類(小分類)
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自治体史掲載
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