解題・説明
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温泉神社を正面から撮影した風景写真である。左に神社の祠と灯篭の写真、右に温泉神社の鳥居の写真が配置されている。
温泉神社は、沼尻から引湯した際、分祀した神社で、祭礼は旧7月1日である。温泉公園として整備され、山桜やつつじ等が植えられていた。また、境内には、明治34年(1901)七月に渋沢栄一が建立した沼尻硫黄山噴火遭難者之碑と渋沢仁之助遭難之碑がある。
渋沢仁之助は、明治21年(1878)に沼尻山硫黄鉱区を取得し、事業を開始した渋沢喜作の次男で、渋沢栄一の甥にあたる。明治19年(1876)から明治25年(1882)の間ドイツに留学し、帰国後製錬所の鉱山長として就任した。 沼の平に採掘場・製錬所を設け、ドイツで学んだ製錬法(蒸気製錬)を取り入れ、操業は順調だったが、明治33年(1900)7月17日、沼尻山が断続的に噴火し、沼の平の採掘場、製錬所は2度目の噴火で降灰と高温の熱泥流に襲われ、事業所・住宅等全てが倒壊埋没してしまい、仁之助を含む82名の遭難死者を出した。殉難者は、沼尻駅前、旧製錬所跡、中ノ沢温泉各地などに葬られた。
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