解題・説明
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『会津藩教育考』著者・小川渉が執筆動機のほか、明治16(1883)年12月から同32(1899)年の長きにわたり、函館から長崎まで会津藩の教育に関する資料を探索・収集した記録、旧藩士を訪ねて聴き取り調査を行った様子などを随筆風に記したものである。 著者の父・小川常有が弓術師範であったことから、天保14(1843)年に日新館内の邸宅で生まれた。日新館で学び、優秀であったことから江戸の昌平黌(昌平坂学問所)にも遊学した。 戊辰戦争時は外国人から弾薬を調達する役目を担い、敗戦後は英学を学ぶなど各地を奔走した。その後下北・斗南へ移り、廃藩置県後は青森県で役人となった。 明治8(1875)年に北斗新聞社(後の青森新報)を起こして社主となり、記者として筆を振るったが、筆禍による投獄も経験した。 明治19(1886)年長崎県尋常中学校教諭となるが、同22(1889)年病気により退職し、会津へ戻り『会津藩教育考』の執筆に専念した。 明治32(1899)年再び青森に移り、明治40(1907)年65歳で亡くなった。 『会津藩教育考』は昭和6(1931)年会津藩教育考発行会により刊行された。
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