解題・説明
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会津若松市栄町の興徳寺にある蒲生氏郷の墓。 蒲生氏郷は弘治2年(1556)近江国日野の領主蒲生賢秀の子として生まれた。天正18年(1590)会津四十二万石(のち九十二万石)領主となる。七層の天守閣を築き鶴ヶ城と名付け、新たな町割りを作り、近江国日野から商人や職人などを呼び寄せ城下町の基礎を築いた。 文禄の役で九州の名護屋に出陣し病気に罹り、文禄4年(1595)40歳で逝去。「かぎりあれば 吹かねど花は散るものを 心みじかき春の山風」は氏郷の辞世の句。遺骨は京都の大徳寺に葬られ、遺髪が興徳寺に送られ、空風火水地と刻した五輪の塔が建立された。興徳寺は瑞雲山興徳寺、臨済宗妙心寺派の寺。
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