書物の断片コレクション ~欧米リーフブックと日本の零葉文化~
近世から近代にかけて、書物の一部を切り出して鑑賞・収集する文化は、東西それぞれに多様なかたちで展開しました。書物は単なる読解の対象にとどまらず、分割された「一葉」そのものが独立した鑑賞・収集の価値を担う存在へと再定義されていきました。
欧米のオリジナルリーフ(原葉)資料
19世紀から20世紀にかけて、古書商や美術商はコレクター市場の拡大を背景に、書物を収集可能な最小単位へと分解し、「オリジナルリーフ」という販売形態を確立しました。インキュナブラ(1500年以前の西洋初期印刷本)やルネサンス期の重要書物が主たる対象となり、とりわけ図版に芸術性を備えた書物は、各葉が独立した鑑賞価値を持つものとして広く流通しました。
『四十二行聖書』原葉1枚
グーテンベルクが活版印刷機によって印刷した最初期の書物のひとつです。本文は、4世紀に聖ヒエロニムスがラテン語に翻訳したウルガタ聖書を原典としており、標準的に1ページ42行で組まれていることから、この名で呼ばれています。
グーテンベルクの印刷技術は急速に全ヨーロッパへと広まり、宗教改革や科学革命を促す重要な契機となりました。その結果、近代ヨーロッパの知識文化の発展に大きな影響を与えたとされています。
『カトリコン』原葉1枚
1286年にジェノア出身のドミニコ修道士バルブスによって著されたラテン語辞書・文法書です。「Catholicon」とは「総合的なもの」を意味し、前半はラテン語文法、後半はラテン語辞書で構成されています。
中世からルネサンスにかけて多くの手写本や印刷本が制作され、聖職者の学習・教育のための実用的な辞典として広く用いられました。『四十二行聖書』とともに、印刷術黎明期を代表する貴重な例です。
『カヴァデール聖書』原葉1枚
マイルズ・カヴァデールは、イングランド宗教改革期の聖職者・翻訳者です。ウィリアム・ティンダルの英訳やラテン語・ドイツ語訳をもとに、1535年に英語初の完訳聖書『カヴァデール聖書』を刊行しました。
現存する初版は極めて少なく、完全本は世界でも十数部程度しか確認されていません。1970年代に行われた書誌学的調査の際、欠損本や零葉を活用して、研究・保存を目的とした「リーフ・ブック」が総部数475部制作されました。近畿大学所蔵本は、そのうち挿絵入りの原葉を綴じ込んだ特装版54部の1冊で、原葉は英語聖書史における重要な転換点を示すとともに、初期印刷文化の姿を今に伝えています。
『アメリカン・インディアン聖書』原葉1枚
1663年に出版されたアメリカ先住民のアルゴンキン語に翻訳された最初の聖書の原葉1枚です。宣教師ジョン・エリオットによって翻訳され、北アメリカで最初に印刷された聖書として知られています。
ヒグデン『万国史』
14世紀イングランドの修道士・年代記作者ラルフ・ヒグデンによる世界年代記『Polychronicon』の英語版を、ウィリアム・カクストンが1482年にウェストミンスターで印刷した書物の原葉です。天地創造から同時代までを叙述した中世世界史書であり、イングランド初期活字印刷の重要な成果を示す資料です。
欧米のリーフブック(原葉集)
19世紀末から20世紀にかけて、印刷史や書誌学的解説とともに実際の写本や初期印刷本の原葉を収録した「リーフブック」が欧米で数多く制作されました。これらは、「オリジナルリーフ」を組み込んだ書誌学的解説資料として構成され、貴重書をより多くの人々に紹介することを目的とするものでした。
オットー・エッジ『世界の名著原葉集』
12世紀から20世紀初頭にかけての世界の名著・美書から原葉を集めた作品集です。聖書、古典文学、科学書、挿絵本など40点の原葉を収録し、写本から私家版に至る印刷史をたどる構成となっています。
編纂者オットー・エッジは、書物史および美術教育の普及を志す一方で、現存する写本を分解し原葉として頒布したことで、「書物破壊」との批判も受けたことで知られています。
本書は断簡研究(フラグメンタロジー)の観点からも、書物の断片に刻まれた歴史を読み解く資料として注目されています。
限定50部のうち近畿大学所蔵本は第8番です。
クラウス・ニッセン『本草書の5世紀』
本草書研究の第一人者クラウス・ニッセンによって編纂された1484年から1863年までに出版された代表的な植物図鑑50冊のオリジナル原葉集です。インキュナブラを13葉含み、50葉のうち25葉には手彩色が施されています。内容面に加え、版画史および印刷史の観点からも資料的価値が高いコレクションとなっています。
ジェフリー・ウェイクマン編『英国印刷の歴史』
イギリスの書物史・印刷史研究者ジェフリー・ウェイクマンが編纂した英国印刷史の原葉集です。17世紀から18世紀の英国で刊行された書物の原葉を収録し、活字・挿絵・製紙技術の変遷を通して、1610年頃から1774年頃までの英国印刷文化の発展をたどることができます。1986年に限定110部で刊行されました。
コンラッド・ヘブラーのインキュナブラ零葉集
ドイツの書誌学者コンラッド・ヘブラー(1857–1946)が編集・解説したインキュナブラの原葉を集めたコレクションです。ヘブラーはインキュナブラ活字の体系的研究で知られ、『インキュナブラ活字総覧(Typenrepertorium der Wiegendrucke)』(1905–1924)の編纂を通じて、初期印刷本に用いられた活字の分類・整理を行いました。 本資料は「ドイツ」「イタリア」「その他の西ヨーロッパ」の3部構成で、地域ごとの活字書体や印刷様式の特徴を比較できるよう編集されています。西洋印刷史および活字書体史を理解するうえで重要な研究資料です。
コンラッド・ヘブラー『インキュナブラ零葉集 ドイツ編』
ドイツ語圏で刊行されたインキュナブラの原葉110点を収録しています。各地の印刷所や活字書体の特徴を比較することができ、ドイツ初期印刷史を知るうえで重要な資料です。
収録された原葉には、ストラスブールのヨハン・メンテリン、アウクスブルクのエアハルト・ラトドルフ、ニュルンベルクのアントン・コーベルガーといった15世紀を代表する印刷業者による印刷物が含まれています。
コンラッド・ヘブラー『インキュナブラ零葉集 西ヨーロッパ編』
西ヨーロッパで1478年から1500年にかけて刊行されたインキュナブラの原葉60点を収録しています。
収録された原葉には、アントウェルペン、デルフト、リヨン、リスボン、トレドなど、西ヨーロッパ各地の印刷都市で刊行された書物が含まれています。なかでも、ウェストミンスターのウィリアム・キャクストンやウィンキン・ド・ウォード、パリのウルリヒ・ゲーリングら各地域を代表する印刷業者による印刷物を通じて、15世紀後半にヨーロッパ各地へ広がった印刷文化の多様な姿をたどることができます。
コンラッド・ヘブラー『インキュナブラ零葉集 イタリア編』
イタリアで刊行されたインキュナブラの原葉120点を収録しています。
収録された原葉には、ヴェネツィアのニコラ・ジャンソンやアルド・マヌーツィオ、ローマのコンラート・スヴァインハイムとアルノルト・パンナルツといった著名な印刷業者による印刷物が含まれています。イタリア印刷文化の特徴を知るうえで重要な資料です。
日本の零葉集
昭和期の愛書家や古書研究者たちは、貴重な古典籍から切り離された一葉や断簡を「零葉」として捉え、それらを集成した「零葉集」を刊行しました。原本への接触機会が限られるなか、実物の紙や印刷、版面を鑑賞・研究するために制作されたものであり、古書文化を今に伝える貴重な資料です。こうした取り組みを通じて、筆跡や料紙といった断片そのものに美的価値が見いだされるようになりました。
古活字版拾葉
昭和8年に東京の古書肆有志によって結成された古書研究団体「訪書会」が刊行した限定40部の稀覯本です。昭和を代表する書誌学者・古書籍商である反町茂雄が、日本の古活字版50種を精選し、各1葉を収めた2冊(乾・坤)から成ります。
古書の形態や印刷技術、用紙、書風などを通して、日本の活字印刷黎明期の姿を探ろうとした訪書会の研究成果であり、昭和初期の書誌学界の情熱を今に伝える貴重な資料です。実物の入手が困難な古活字版の希少な断簡を集成し、体系的に紹介することで、わが国の初期活字印刷文化の一端を知ることができます。
なお、「古活字版」とは、桃山時代から江戸時代初期にかけて刊行された活字印刷本を指し、刊記・版式・活字・紙質などの点で高い書誌的価値を有しています。
稀本零葉
昭和8(1933)年10月、東京の古書店(古書肆)有志によって結成された研究会「訪書会」は、古書を通じて会員相互の研鑽を図り、古書業界全体の知的水準の向上を目的として活動していました。
『稀本零葉』は、その活動の一環として昭和8(1933)年から18(1943)年にかけて編まれた稀覯書見本帖です。本資料は全5輯5冊に加え、番外編1冊で構成されています。訪書会の月例会で配布された珍しい書物や版本の一葉を、会員が目次に従って貼り込んだり挟み込んだりして作成しました。
書物の一部を「標本」として収集・整理するという試みは、昭和期における愛書文化と書誌学的探究が結びついた成果といえます。そのため、古書文化の歴史を伝える資料であるとともに、書誌学や文献学の研究においても貴重な資料として評価されています。
浮世草子聚芳
浮世草子の稀本50種を精選し、その零葉を収録した限定本です。天和・貞享期から明和・安永期まで約100年間に刊行された作品を収め、とくに西鶴本と八文字屋本を中心に構成されています。昭和期の古書研究団体「文庫の会」が限定70部を作成し、そのうち50部を一般に頒布、20部を会員に配布しました。近畿大学所蔵本は第49号です。
古版本聚芳
寛永以前の古版本から代表的な50種を精選し、その零葉を収録した標本集です。慶長以前の版本40余種と、慶長・元和期の整版本約10種を収めています。日本の出版史上重要な資料として高く評価され、刊行後わずか12週間で完売するなど好評を博しました。限定50部印行のうち、近畿大学所蔵本は第31号です。
和歌・俳諧資料 ~古筆切/短冊/懐紙/句稿~
古筆切、短冊、懐紙、句稿などは、文字の内容だけでなく筆跡そのものを鑑賞する日本独自の文化を伝える資料です。書物や巻物から切り出された断簡、和歌や俳句を記した一紙物、創作の過程を示す草稿などを通して、文学と書が一体となって育まれた日本の美意識をうかがうことができます。
伝源俊頼筆民部切(古今和歌集断簡)
『古今和歌集』を書写した冊子本の断簡(古筆切)です。料紙には、白の具引き地に白雲母で鳳凰丸唐草文様を刷り出した和製唐紙が用いられています。筆者は源俊頼(1055頃~1129)と伝えられ、平安時代末頃の書写と推定されます。
伝藤原良経筆嵯峨切(和漢朗詠集断簡)
藤原公任撰『和漢朗詠集』を書写した巻子本の断簡(古筆切)です。筆者は藤原良経(1169~1206)と伝えられていますが、書風から鎌倉時代中頃の書写と考えられています。
屋代弘賢和歌懐紙
江戸後期の国学者・書誌学者として知られる屋代弘賢の自筆和歌懐紙です。弘賢は『群書類従』の編纂事業に協力し、蔵書家としても名高い人物です。
本資料は、学者としてだけでなく歌人としての一面を伝える貴重な筆跡資料です。
蕪村自筆句稿
江戸中期を代表する俳人・画家である与謝蕪村の自筆による俳句草稿です。明和年間頃の句を中心に収め、推敲の痕跡や筆勢から、蕪村の創作過程を具体的にうかがうことができます。
本資料は、蕪村没後、その娘「くの」の結婚資金を得るために遺墨が分割され、弟子たちによって売却されたと伝えられる「蕪村の嫁入り手」の一例です。高弟である松村呉春が鑑定と絵を添えた上で流通したもので、師の遺墨が再構成されながら伝来していった過程を示す点でも重要です。