江戸川区史 江戸川区の歴史

/ 8ページ
No 時代 年月日表記 西暦 江戸川区の歴史 出典 関連 備考
1 養老5年 721 この年の戸籍(正倉院文書)に「葛飾郡大嶋郷甲和里」がある。小岩が史書に現れた初め(推定)。
2 承和2年6月 835/6 太日河に渡船2艘を加え4艘とする。
3 正応1年8月 1288/8 この年の板碑が上篠崎町で発見された(区内最古)。
4 永和3年3月 1377/3 篠崎郷の一部が中山法華経寺へ永代寄進された。
5 応永5年 1398 この年の『葛西御厨注文』に区内18の地名が見える。
6 永正6年 1509 連歌師柴屋軒宗長の紀行文に今井津・淨興寺・善養寺の名がみえる。
7 天文7年10月 1538/10 北条氏綱・氏康が小弓義明・里見義堯を国府台に破る。
8 天文15年 1546 北条氏康が淨興寺に立ち寄る(『武蔵野紀行』)。
9 永禄2年 1559 北条氏の小田原衆所領役帳に区内16の地名がみえる。その中に長島高城の名もある。
10 永禄7年7月 1564/7 北条氏康が小岩・篠崎の江戸川畔に布陣し国府台の里見義軍を破る。里見義弘らは安房に敗走。
11 慶長1年6月 1596/6 江戸川や隅田川が氾濫。
12 慶長1年 1596 この年、宇田川喜兵衛が宇喜新田を開発。
13 慶長15年 1610 篠原伊予が伊予新田を開発。
14 慶長18年 1613 徳川家康が葛西で放鷹。
15 元和2年8月 1616/8 小岩・市川渡しが定船場となる。
16 元和3年 1617 この頃から田島図書が一之江新田を開発。
17 元和8年 1622 長島村の検地行われる。
18 寛永5年10月 1628/10 平井・小松川両村が正式に御鷹場に指定される。
19 寛永6年 1629 新川が開さくされる。
20 寛永17年 1640 利根川筋の大改修。江戸川の舟運が盛んになる。
21 慶安1年6月 1648/6 松本村の検地行われる。
22 慶安2年 1649 二之江・長島・下今井村が網建場25町において白魚漁を許された。
23 慶安4年10月 1651/10 津波で葛西・行徳の民家数千戸流失。
24 寛文1年 1661 小名木川の隅田川口にあった川船番所を中川口に移し中川番所と称した。
25 寛文11年 1671 江戸佐久間町の加兵衛が千葉木堤の南を開墾。
26 元禄8年 1695 この年の検地で長島・二之江・桑川・下今井の海面付古田が本田高に組み入れられる。
27 元禄10年 1697 酒井河内守の検地が行われる。
28 元禄10年 1697 水戸佐倉道が道中奉行の直轄となる。
29 宝永1年7月 1704/7 江戸近郊一帯大洪水に見舞われる。
30 宝永4年 1707 江戸の町人太郎次が堀江村飛地を開発する。
31 宝永5年 1708 入会地貝猟で羽田・葛西領間にもめごとが起る。
32 宝永6年 1709 澪の移動による漁場紛争が葛西浦と佃島の間に起る。
33 正徳1年 1711 キリシタン禁制、火つけ禁制の高札が村に建てられる。
34 享保1年 1716 放鷹制復活。
35 享保2年 1717 将軍吉宗、小松川辺に放鷹。以後本区方面での放鷹がさかんになる。この年西小松川村の仲台院が御膳所となる。
36 享保6年 1721 鷹番の高札がたつ。
37 享保9年 1724 村々の年貢を定免法賦課に改める。
38 享保10年 1725 吉宗が小金ヶ原で大規模な鹿狩を行う。
39 享保11年 1726 検地条目が制定される。この年加納甚内が網差新田の開発を始める。
40 享保14年 1729 現在の旧中川が開さくされる。
41 享保15年 1730 この頃より葛西海苔が地元に起る(「下今井村鏡帳」)
42 享保19年 1734 小岩5ヵ村、水害による損害が大きく助郷の休役が許される。
43 寛保2年8月 1742/8 大洪水に見舞われる。
44 寛延3年4月 1750/4 江戸付近一帯に降雹、各村では夫食拝借を願い出る。
45 天明2年 1782 漁場争いの大紛争が東宇喜田村・長島村・猫実村3ヵ村と船橋村との間で起る。
46 天明3年7月 1783/7 浅間山が大爆発を起し、降灰で各地の田畑作物を損う。
47 天明6年7月 1786/7 江戸開府以来の大洪水、「平井、木根川は水高さ1丈三尺余と云」(『ききのままに』)。
48 寛政3年8月 1791/8 関東一円に大風雨、東葛西領4ヵ村など高潮に襲われる。
49 享和1年 1801 大塚宗蔵・吉豊父子が下今井で新川梨の栽培に着手。
50 享和1年 1801 伊能忠敬が中川尻測量を行う。
/ 8ページ