明治のくらし

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明治のくらし-開拓地に生きる
わらじぬぎ
 明治二〇年代から大正期にかけて、北海道への移住はブームのようになりました。北海道庁は、移住希望者への手引きとして、さまざまな〈案内パンフレット〉を発行します。そのような情報とともに、むしろもっと実際的で役に立ったのが先輩開拓者から聞く情報でした。移住者は、まず先に入植した同郷の人や親類のもとに一時身をよせてから、さらに入植地をもとめて奥地に入ることが多く、これを「わらじぬぎ」とよんでいました。

 
◆北海道移住案内(恵庭市郷土資料館)

小屋がけ
 開拓地に入植した人々は、まず地面に柱を組みカヤ(ススキやヨシ)でふいた小屋を建てます。それは「掘立て小屋」とよばれ、土間に炉を作り、むしろをしいた簡単なもので、冬には雪が吹き込むような家でした。やがて生活が落ち着くと、最初は故郷で一般的な形の家を建てました。豊かな移住者のなかには、出身地から大工をよんで建てることも珍しくありませんでした。

 
◆つまご(恵庭市郷土資料館)

◆わらぐつ(恵庭市郷土資料館)

夫婦のきずな
 開拓の初期には、アワ・ヒエ・ソバ・トウモロコシなどが日常の主食でした。石臼はソバやトウモロコシ、小麦などをひいて粉にする道具で、粉は「こね鉢」でこねて麺や団子にして食べました(これを粉食文化ともいいます)。石臼をよく使う地域の移住者にとって、石臼は何よりも大事な道具でした。移住にあたって、重い石臼を持ってくるのはたいへんでしたが、夫婦が上臼と下臼をそれぞれ背負ってくる姿がよく見られたそうです。それはまるで開拓に立ち向かう夫婦の固いきずなを示しているようでした。

 
◆石臼(恵庭市郷土資料館)

いろりと薪ストーブ
 明治の冬のくらしは、最初は本州と同じような、いろりや火鉢、あんかなどが暖をとる手段でした。しかし北海道の冬の寒さをしのぐのは大変で、明治の中ごろからダルマ型の「薪ストーブ」が使われだします。それでも住宅事情の悪かった当時の冬の寒さは、今の子供たちには想像できないものかもしれません。北海道の「暖房革命」といえる貯炭式石炭ストーブの登場は、大正末期のことでした。

 
◆いろりばたの風景(恵庭市郷土資料館)