【1】 | |
鎌倉勢と戦い、敗れた安房の国主である里見氏は、ある時秘蔵の飼い犬である八房(やつふさ)に、戯れとして「敵将の首を取ってくれば恩賞として伏姫をつかわそう」といった。見事役目を果たした八房と共に富山(とみやま)に籠(こも)った伏姫であったが、八房は大輔に射殺され、身の潔白を示すために自らも自害してしまったのである。 |
【2】 | |
その昔、結城へ篭城(ろうじょう)していた井野丹蔵(いのたんぞう)の娘・手塚(てづか)は弁天様へお参りした際に子犬を助けて伏姫の神霊に逢い、懐妊し男子を産んだ。 その男子は犬塚信乃(いぬづかしの)として、八犬士の一人となった。 |
【3】 | |
蟇六(ひきろく)の娘・濱路(はまじ)は、豊島(としま)家一族の娘であったが不幸にして農夫の養女となり、犬塚信乃を婿にするよう養母・亀笹(かめざさ)が図ったが、実は村雨丸(むらさめまる)を奪い、鎌倉殿へ献上しようとしたのであった。 また、この家に額蔵(がくぞう)という者がいたが、後の犬川荘介である。 |
【4】 | |
信乃は鎌倉を目指して出発するも、村雨丸が偽物であるとは夢にも思わず、古我(こが)の御所に行き、足利成氏へ献上してしまう。しかし、その太刀は偽物であるとわかり、追手に追われてしまう。 |
【5】 | |
芳流閣(ほうりゅうかく)の屋根の上で切り合いになり、目覚ましい働きをしている時、一人の勇士に出会う。その者と信乃は芳流閣の上で戦っている最中に利根川へ転落し、気絶していたところを文五平(ぶんごべえ)に助けられたのである。相手の名は犬飼現八(いぬかいげんぱち)と名乗り、兄弟の約束を交わした。 |
【8】 | |
その後小文吾は宿を求めていたが毒婦(どくふ)船虫(ふなむし)の災いを受け、石浜の城中に引き立てられてしまった。馬加大記常武(まくわりだいきつねたけ)に憎まれ、獄中に繋がれてしまう。 数か月後、舞子乙女を名乗る小文吾の無実を知るものが遣わした忍びが現われ、救い出した。 |
【9】 | |
この者実は、犬士の一人である犬阪毛野胤智(いぬさかけのたねとも)であり、智勇に優れた美少年であった。 毛野は間者の忍びとして恐れもせずに、数多の捕り手に囲まれるも、恐れもせずに敵を引き付けた。 |
【10】 | |
小文吾と毛野は群がり寄せる捕り手を切り捨てたが、その様子はとても人間業とは思えなかった。 しかしながら数で勝る捕り手たちは、次第に二人を追い詰め、生け捕りにしようとする。 両人が力戦奮闘した結果、もはや敵わないと悟った捕り手たちは逃げ出し、二犬士は辛くも城中から逃げ延びたのであった。 |
【11】 | |
この時、犬山道節(いぬやまどうせつ)は必死の戦いを繰り広げていたが、火柱を上げこつ然と姿を消すのであった。 道節の火遁(かとん)の術は白井の兵たちも驚いたが、道節は勇士に恥ずべき卑怯なものであるとして、家伝の巻物を火中に投げ入れ、燃やしてしまう。 |
【12】 | |
また、庚申山(こうしんやま)で犬飼現八は偽物の一角(いっかく)を退治し、犬村角太郎(いぬむらかくたろう)の素性を知り、お互いに犬士の名乗りをした。 また、犬田小文吾は石濱(いしはま)を発ち、毛野と別れて船に乗り、伊豆の島々を巡って浪花に赴き、北陸道に下り、越後国苅羽(かりわ)郡小千谷(おぢや)の里に行き、世間の形成を窺(うかが)っていた。 |
【13】 | |
同じく越後国古志(こし)郡二十村(にじゅうむら)に牛闘(うしあわせ)の神事があることを知り、見物にいくと、近くの者より数十頭の牛を左右に分け戦わせていた。 |
【14】 | |
その中でもひときわ大きな牛が暴れだし、その勢いに誰も捕まえられるものがいなかった。 これをみた小文吾は走り出して角を捕まえ、力に任せてねじ伏し、なんなく捕えてみせた。 |
【15】 | |
また、犬阪毛野は父の仇である小宮山逸東太(こみやまいっとうた)を討ちとらんと日頃より付け狙っていた。毛野は逸東太が小田原へ使節に赴くと聞いて鈴ヶ森(すずのもり)にて待ち伏せし、「覚悟せよ」と切りかかった。従者たちが毛野を取り囲んだが、飛鳥(ひちょう)のごとく立ち振る舞い、鬼神の如く戦った。この時小文吾と荘介も加勢し、ついに毛野は逸東太の首をはねた。 |
【16】 | |
また扇谷定正(おうぎがやつさだまさ)は三百人の兵を品川に繰り出したが、犬飼現八等の三犬士がここに現われ太刀をふるった。定正の兵は乱れ、定正が恐れをなして逃げ行くところ、道節は矢を放った。 (定正は)兜を射られ深手を負ってしまったが、河鯉孝嗣(かわこいたかつぐ)に助けられ、その場を脱出した。 |
【17】 | |
素藤(もとふじ)は悪名高い妙珍(みょうちん)に迷わされ、再び逆威(ぎゃくい)をふるい、館山の城を奪い返し、里見勢を悩ませていた。 再び新兵衛は館山城に乗り込み、素藤を生け捕り、尼妙珍を打ち殺した。 この尼こそは八房に乳を与えし狸であるとされ、里見氏にとっては因縁の相手でもあった。 |
【18】 | |
逸匹寺(いつひきじ)の徳用(とくよう)は、250人余りの軍を連れて、法場を襲おうとしていた。七犬士は策を見込んで、二つに別れ待ち受けていた。そうとも知らずに、悪僧共がどっと襲ってきた。 待ち伏せしていた犬士たちの武勇はすさまじく、信乃は徳用を目がけて切りかかった。「心得たり」と受けて立った徳用であったが力の差は歴然であり、散々に切り捨てられてしまった。 |
【19】 | |
また鎌倉の合戦における八犬士の目覚ましい活躍は、殊更言うまでもなく、どこの誰も敵うものはいなかった。 |
【20】 | |
八犬士は国中の治まりを窺いつつ、諸国を遊行したのち山に閉じこもり、皆仙人となって長い間暮らした。 こうして、伏姫の身体から出た八ツ玉を持つ八犬士のお話は、今でも広く、世間に受け継がれているのである。 |
終わり