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目録ID mp20230020-0220
文書名 郷土史料(全)長滝村長滝寺
文書名(カナ) きょうどしりょう(ぜん)ながたきむらちょうりゅうじ
文書名(ローマ字)
別名
別名(カナ)
別名(ローマ字)
文書名(欧文)
文書名に関する注記
差出・作成者 喜多七五郎
差出・作成者(カナ) きたしちごろう
差出・作成者(ローマ字) Kita Shichigoro
宛所
宛所(カナ)
宛所(ローマ字)
書写者
書写者(カナ)
書写者(ローマ字)
作成年 昭和13年(1938)
作成年終
数量 1
形状 画帖
寸法
寸法(縦)
寸法(横)
材質
形態に関する注記
保存状況
縮尺
その他の注記
言語 日本語
ISBN
ISSN
主題 郷土史料(全)
主題(カナ) ぐじょうしりょう(ぜん)
主題(ローマ字)
関連する地域・場所 郡上郡
関連する地域・場所(カナ)
関連する地域・場所(ローマ字)
関連する人物・団体
関連する人物・団体(カナ)
関連する人物・団体(ローマ字)
内容年
内容年終
内容
内容(カナ)
内容(ローマ字)
解題・説明 白山(2,702m)の美濃側の信仰拠点美濃番場(ばんば)が開かれたのは、寺伝では天長九年(832)のことである。美濃番場、越前番場、加賀番場は踏頂の泰澄大使を開創とする。美濃番場は白山中宮長滝寺と称され、天台宗が開かれると延暦寺別院となり、東海地方の白山信仰の中心として隆盛をむかえた。鎌倉時代は三十四宇(う)の堂塔伽藍ができ、「六谷六院宗徒三六〇坊」といわれ、多くの参詣者で賑わう全盛期であった。戦国時代に入ると飛騨の寺領が三木氏に押領され、さらに浄土真宗の教線の拡大によって転宗・改宗が相つぎ寺勢は衰微していった。明治三十二年の火災により社殿・仏閣の大部分を失った。(石田正之輔、高橋教雄、寺田敬蔵『復刻 郡上郷土史料・解説』郷土出版社 1992年 による)
解題・説明(英語)
来歴
来歴(英語)
所蔵機関 郡上市歴史資料館
原資料の所在地 郡上市歴史資料館
資料番号
管理記号
カテゴリ区分 文書・記録
資料種別 郷土史料
資料分類(大分類)
資料分類(中分類)
資料分類(小分類)
文化財情報
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参照データ
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自治体史掲載
出版物・関連資料
翻訳元の言語
権利関係・利用条件 CC BY-NC(表示-非営利)
原資料の利用条件
権利関係・利用条件に関する注記 クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
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緯度・経度・高度に関する注記
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既刊目録名
デジタル化の経緯に関する注記
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