解題・説明
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宮ケ瀬橋は、八幡町の南北を結ぶとともに郡上の大動脈をなす最も重要な橋である。したがってこの架替えは郡上藩によってなされた。従来土橋であったものを寛永十八年(1641)に板橋にして宮ケ瀬橋と名付けられ、文政六年(1823)の架替えに鬼谷(おんだに)村(八幡町美山)丹助が寄附金五十両を出した。天保十二年(1841)に越前の大工大塚伊左衛門の設計で行合橋(はね橋)に架替えられ、費用は三五七両かかったと記録にある。(石田正之輔、高橋教雄、寺田敬蔵『復刻 郡上郷土史料・解説』郷土出版社 1992年 による)
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