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目録ID mp20230020-0530
文書名 郷土史料(弐)白山中宮長滝寺
文書名(カナ) きょうどしりょう(に)はくさんちゅうぐうちょうりゅうじ
文書名(ローマ字)
別名
別名(カナ)
別名(ローマ字)
文書名(欧文)
文書名に関する注記
差出・作成者 喜多七五郎
差出・作成者(カナ) きたしちごろう
差出・作成者(ローマ字) Kita Shichigoro
宛所
宛所(カナ)
宛所(ローマ字)
書写者
書写者(カナ)
書写者(ローマ字)
作成年 昭和13年(1938)
作成年終
数量 1
形状 画帖
寸法
寸法(縦)
寸法(横)
材質
形態に関する注記
保存状況
縮尺
その他の注記
言語 日本語
ISBN
ISSN
主題 郡上史料(弐)
主題(カナ) ぐじょうしりょう(に)
主題(ローマ字)
関連する地域・場所 郡上郡
関連する地域・場所(カナ)
関連する地域・場所(ローマ字)
関連する人物・団体
関連する人物・団体(カナ)
関連する人物・団体(ローマ字)
内容年
内容年終
内容
内容(カナ)
内容(ローマ字)
解題・説明 白山信仰の美濃側の拠点(美濃番場)であり、平安時代に天台宗延暦寺の別院となり、中世を中心に大いに繁栄した。特に美濃・尾張方面の信者は、里宮の洲原神社(美濃市)に詣で、長良川に沿う郡上街道を北行し、長滝寺に参詣した。文永八年(1271)に火災に遭い、その後康永二年(1343)までに再建された。その折、仏像や仏具、神器が献納され、「奥美濃の正倉院」と称されるほど絢爛たる宗教文化の盛時を現出した。現在本堂が位置する場所にあった大講堂は応長元年(1311)の建立で、梁間十四間、桁行十八間、棟高九間四尺という大伽藍であった。明治三十二年火災に遭い、ほとんどの堂塔その他を焼失してしまった。(石田正之輔、高橋教雄、寺田敬蔵『復刻 郡上郷土史料・解説』郷土出版社 1992年 による)
解題・説明(英語)
来歴
来歴(英語)
所蔵機関 郡上市歴史資料館
原資料の所在地 郡上市歴史資料館
資料番号
管理記号
カテゴリ区分 文書・記録
資料種別 郷土史料
資料分類(大分類)
資料分類(中分類)
資料分類(小分類)
文化財情報
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参照データ
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自治体史掲載
出版物・関連資料
翻訳元の言語
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原資料の利用条件
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緯度・経度・高度に関する注記
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既刊目録名
デジタル化の経緯に関する注記
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