解題・説明
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島方(八幡町島谷)は昔大美野(おおみの)と呼ばれ一望原野であった。その中央に小社があり島方村の氏神であった。祭神は大山咋命(おおやまくいのみこと)であった。遠藤慶隆は、信長に従い、元亀二年(1571)延暦寺と戦い大敗したことをきっかけに、安久田(あくだ)村(八幡町)の山王社から御神を迎えて合祀し、城下吉田川以南の守護神として社殿を営み、西に向かって門を建て大宮山王と名付けた。江戸時代中期に神明造りの本殿拝殿が建立された。遠藤常友の頃別当寺として川佐(八幡町旭)から阿合院という真言宗の寺が移されたが、明治の神仏分離令で廃寺となった。(石田正之輔、高橋教雄、寺田敬蔵『復刻 郡上郷土史料・解説』郷土出版社 1992年 による)
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