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目録ID mp20230020-0670
文書名 郷土史料(参)島方山王社
文書名(カナ) きょうどしりょう(さん)しまかたさんのうしゃ
文書名(ローマ字)
別名
別名(カナ)
別名(ローマ字)
文書名(欧文)
文書名に関する注記
差出・作成者 喜多七五郎
差出・作成者(カナ) きたしちごろう
差出・作成者(ローマ字) Kita Shichigoro
宛所
宛所(カナ)
宛所(ローマ字)
書写者
書写者(カナ)
書写者(ローマ字)
作成年 昭和13年(1938)
作成年終
数量 1
形状 画帖
寸法
寸法(縦)
寸法(横)
材質
形態に関する注記
保存状況
縮尺
その他の注記
言語 日本語
ISBN
ISSN
主題 郡上史料(参)
主題(カナ) ぐじょうしりょう(さん)
主題(ローマ字)
関連する地域・場所 郡上郡
関連する地域・場所(カナ)
関連する地域・場所(ローマ字)
関連する人物・団体
関連する人物・団体(カナ)
関連する人物・団体(ローマ字)
内容年
内容年終
内容
内容(カナ)
内容(ローマ字)
解題・説明 島方(八幡町島谷)は昔大美野(おおみの)と呼ばれ一望原野であった。その中央に小社があり島方村の氏神であった。祭神は大山咋命(おおやまくいのみこと)であった。遠藤慶隆は、信長に従い、元亀二年(1571)延暦寺と戦い大敗したことをきっかけに、安久田(あくだ)村(八幡町)の山王社から御神を迎えて合祀し、城下吉田川以南の守護神として社殿を営み、西に向かって門を建て大宮山王と名付けた。江戸時代中期に神明造りの本殿拝殿が建立された。遠藤常友の頃別当寺として川佐(八幡町旭)から阿合院という真言宗の寺が移されたが、明治の神仏分離令で廃寺となった。(石田正之輔、高橋教雄、寺田敬蔵『復刻 郡上郷土史料・解説』郷土出版社 1992年 による)
解題・説明(英語)
来歴
来歴(英語)
所蔵機関 郡上市歴史資料館
原資料の所在地 郡上市歴史資料館
資料番号
管理記号
カテゴリ区分 文書・記録
資料種別 郷土史料
資料分類(大分類)
資料分類(中分類)
資料分類(小分類)
文化財情報
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参照データ
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自治体史掲載
出版物・関連資料
翻訳元の言語
権利関係・利用条件 CC BY-NC(表示-非営利)
原資料の利用条件
権利関係・利用条件に関する注記 クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
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緯度・経度・高度に関する注記
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既刊目録名
デジタル化の経緯に関する注記
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