解題・説明
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美並村苅安にある曹洞宗の寺院であり、遠藤盛数が天文二十一年(1552)に築いた鶴尾山城の麓にある。遠藤盛数が永禄二年(1559)に本家の東氏を滅ぼして八幡城にうつると鶴尾山城は名和和泉守が城主となった。その後城主となったのは粥川甚右衛門である。遠藤慶隆は甚右衛門の死後鶴尾山城一帯を寄付し一宇を建立し、林広院を開創した。林広院はこうして粥川氏の菩提寺として開かれたので、藤原高光伝承と結びついて由緒が語られることにもなった。(石田正之輔、高橋教雄、寺田敬蔵『復刻 郡上郷土史料・解説』郷土出版社 1992年 による)
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