解題・説明
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郡上郡内の村数一五八か村が支配別に記載してある。小川休和が著わした『濃北一覧』の付録絵図としてつけられたものである。なお寛文四年(1664)遠藤常友(つねとも)の朱印状によると、郡上郡内一三四か村二万四千石であった。正徳二年(1712)以後郡上郡内は、郡上藩領、両遠藤(和良遠藤千石、乙原遠藤二千石)の旗本領地、幕府直轄地(天領、三千石)の三つに分かれて統治された。領地の出入り口には関所が設けられ、「口番所」といった。番所を出入りする商品には役銭が課せらえた。(石田正之輔、高橋教雄、寺田敬蔵『復刻 郡上郷土史料・解説』郷土出版社 1992年 による)
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