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目録ID mp20230020-1010
文書名 郷土史料(五)青山家過去帳
文書名(カナ) きょうどしりょう(ご)あおやまけかこちょう
文書名(ローマ字)
別名
別名(カナ)
別名(ローマ字)
文書名(欧文)
文書名に関する注記
差出・作成者 喜多七五郎
差出・作成者(カナ) きたしちごろう
差出・作成者(ローマ字) Kita Shichigoro
宛所
宛所(カナ)
宛所(ローマ字)
書写者
書写者(カナ)
書写者(ローマ字)
作成年 昭和13年(1938)
作成年終
数量 1
形状 画帖
寸法
寸法(縦)
寸法(横)
材質
形態に関する注記
保存状況
縮尺
その他の注記
言語 日本語
ISBN
ISSN
主題 郡上史料(五)
主題(カナ) ぐじょうしりょう(ご)
主題(ローマ字)
関連する地域・場所 郡上郡
関連する地域・場所(カナ)
関連する地域・場所(ローマ字)
関連する人物・団体
関連する人物・団体(カナ)
関連する人物・団体(ローマ字)
内容年
内容年終
内容
内容(カナ)
内容(ローマ字)
解題・説明 青山家菩提寺の梅窓院(東京都港区青山)の過去帳である。青山氏は徳川氏の三河以来の譜代大名である。九代の青山忠成(ただなり)は家康に仕えて関東総奉行に任ぜられ、関東領国経営に優れた手腕を発揮した。忠成の次子忠俊(ただとし)が宗家として丹波国篠山藩(兵庫県多紀郡篠山町・五万石)藩主を継ぎ、その弟幸成(よしなり)が分家として丹後国宮津藩(京都府宮津市・四万八千石)藩主となった。幸成が郡上青山家の初代であり六代幸道(よしみち)の時、郡上藩主として入部し、以後七代100余年間この地を統治した。(参考 石田正之輔、高橋教雄、寺田敬蔵『復刻 郡上郷土史料・解説』郷土出版社 1992年)
解題・説明(英語)
来歴
来歴(英語)
所蔵機関
原資料の所在地 郡上市歴史資料館
資料番号
管理記号
カテゴリ区分 文書・記録
資料種別 郷土史料
資料分類(大分類)
資料分類(中分類)
資料分類(小分類)
文化財情報
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参照データ
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自治体史掲載
出版物・関連資料
翻訳元の言語
権利関係・利用条件 CC BY-NC(表示-非営利)
原資料の利用条件
権利関係・利用条件に関する注記 クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
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緯度・経度・高度に関する注記
DOI
既刊目録名
デジタル化の経緯に関する注記
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