解題・説明
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白山(2,702m)の美濃側の信仰拠点美濃番場(ばんば)が開かれたのは、寺伝では天長九年(832)のことである。美濃番場、越前番場、加賀番場は踏頂の泰澄大使を開創とする。美濃番場は白山中宮長滝寺と称され、天台宗が開かれると延暦寺別院となり、東海地方の白山信仰の中心として隆盛をむかえた。鎌倉時代は三十四宇(う)の堂塔伽藍ができ、「六谷六院宗徒三六〇坊」といわれ、多くの参詣者で賑わう全盛期であった。戦国時代に入ると飛騨の寺領が三木氏に押領され、さらに浄土真宗の教線の拡大によって転宗・改宗が相つぎ寺勢は衰微していった。明治三十二年の火災により社殿・仏閣の大部分を失った。(石田正之輔、高橋教雄、寺田敬蔵『復刻 郡上郷土史料・解説』郷土出版社 1992年 による)
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