解題・説明
|
白山信仰の美濃側の拠点(美濃番場)であり、平安時代に天台宗延暦寺の別院となり、中世を中心に大いに繁栄した。特に美濃・尾張方面の信者は、里宮の洲原神社(美濃市)に詣で、長良川に沿う郡上街道を北行し、長滝寺に参詣した。文永八年(1271)に火災に遭い、その後康永二年(1343)までに再建された。その折、仏像や仏具、神器が献納され、「奥美濃の正倉院」と称されるほど絢爛たる宗教文化の盛時を現出した。現在本堂が位置する場所にあった大講堂は応長元年(1311)の建立で、梁間十四間、桁行十八間、棟高九間四尺という大伽藍であった。明治三十二年火災に遭い、ほとんどの堂塔その他を焼失してしまった。(石田正之輔、高橋教雄、寺田敬蔵『復刻 郡上郷土史料・解説』郷土出版社 1992年 による)
|