解題・説明
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文化3、4年(1806-07)のロシア船による樺太、択捉襲撃は日本に海防の重要性を認識させることになり、有事には軍船としても機能する蝦夷地御用船が建造された。全真丸、寿昌丸、龍翔丸、帰徳丸の四隻である。このうち全真丸、寿昌丸は下北半島の川内で、龍翔丸は松前で文化4年に建造された。本図には「文化五戌辰年蝦夷地為御用摂州兵庫/高田屋嘉兵衛於手元従/公義造作被仰付候御船之絵図」とあることや、また矢倉に砲門を備えた軍艦色の強い様子などから、高田屋嘉兵衛によって造船された帰徳丸の絵図と考えられる。
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