解題・説明
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寛政5年(1793)に来日したアダム・ラクスマンが受け取った幕府からの信牌(長崎への入港許可書)を携えて、文化元年(1804)9月に長崎に入港したロシア使節ニコライ・レザノフ、艦長クルウゼンシュテルンに兵士、楽隊を加えた一行とロシア国旗が描かれている。レザノフはロシア皇帝の親書を携えて正式な国交樹立を求めたが幕府はなかなか返事をせず、結局翌年3月にこの要求を拒否した。この結果日本を開国させるには武力を持ってするしかないと、レザノフの部下ニコライ・フヴォストフは樺太、択捉を襲撃することとなる。巻末に、「寛政五年五月松前にて与へたる信牌を持参し/文化元年九月長崎に入港したる魯西亜使節/にこらいれさのつと一行之図也」とある。
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