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函館市史 通説編 第一巻
(昆布の種類)
『庭訓往来』に「宇賀昆布」と記されているのは、亀田郡小安村
ウンカ
川
付近から産出したので名付けられたという,けれどもその最も優良なものは、茅部郡尾札部(おさつべ)・
川
汲(かっくみ)および臼尻近傍から出し、志海苔産
函館市史 通説編 第一巻
(宇賀昆布と箱館の繁栄)
宇賀昆布とは、いまの函館市銭亀沢の
ウンカ
川
付近に産したもので、この地は昆布の産地として有名であり、のちに
戸井町史
([位置と地勢])
これらの山々に源を発する原木
川
、熊別
川
、戸井
川
、
ウンカ
川
、小安
川
、タカ屋敷
川
などが南に流れて津軽海峡に,これらの
川
の分水嶺をなしている山々はすべて海抜400米内外の低山であるが、分水嶺から海岸まで8粁足らずの,距離なので急傾斜の渓谷を下る
川
は急流となり、長年月の間に流域に深い渓谷を穿(うが)って海に注いでいる。,昔はこれらの
川
にイワナ、ヤマベなどがたくさん棲息しており、秋には鮭や鱒が遡上したものだが、近世になってから,熊別
川
、蛯子
川
、戸井
川
などの流域からマンガン、銅などの鉱石を堀り出したため、鉱毒が
川
にはいりヤマベ、イワナ
恵山町史
([松前藩時代の下海岸のみち])
1334年)、僧玄恵が書いた『庭訓往来』の中に諸国の名産として蝦夷地の「宇賀昆布・鮭」(宇賀・小安村
ウンカ
,
川
付近)が記されていることからも、それが頷ける。,しかし、交通といえば、干潮時に磯伝いの道、満潮ともなれば踏み分け道、山越えは“ししみち”、
川
越は浅瀬を
戸井町史
(一、明治以前)
天保九年(一八三八)『松前国中記』 「箱館、寺社町家およそ三、四百軒」とあり、戸井の地名はオヤス、
ウンカ
,
川
、カルヤラヤス、シオクビ、ユムキナイ、メッタマチ、トイノカワシリ、シスン、オカベトマリ、トイ、ムイノトマリ
南茅部町史 上巻
([松前国中記])
秋味舟抔 此沖ニ掛り日和見定るナリ 蠣崎三彌殿 知行所 トヒカワ村 人家有 秋味
川
有,人家有 冬鯡 秋味鮭 城下御臺所御〓上ル アリカワ村 人家有 戸切地村御賄 同所余程の
川
有, 中道通り 山カシ 村 上ヤマ 村 ユノ
川
,村 上ユノ
川
村 ヤツタケ村 フミ月 村 ナカハシ村, シロ井シ ヲヤス村 人家アリ 城下ゟ 追放人此村に送る也
ウンカ
戸井町史
([戸井の地名考])
シロイハマ寛政元年(1789)の『ひろめかり』に「汐首、シロイハマを通り、運荷(
うんか
)
川
を渡り」とあるように,カルヤラヤス天保9年(1838)の『松前国中記』に「
ウンカ
川
、カルヤラヤス(丶丶丶丶丶丶)、シヲクビ」,
ウンカ
川
釜谷と小安の境を流れている小
川
の名である。,戸井町にある「
ウンカ
川
」は、ずっと昔からあった名で、昔は「ウカカワ」「運荷
川
」「運賀
川
」などと書かれていた,
ウンカ
川
の名は、「松前志」に「ウカカワ」、『ひろめかり』に「運荷
川
」、『松前国中記』に「
ウンカ
川
」と書
恵山町史
(2、箱館六ケ場所の成立)
書記申候 是よりカヤベと申迄 昆布出所 一、トエ申地 佐藤加茂左エ門殿御預り ・出物 赤昆布
ウンカ
,主な産物は、
ウンカ
・シノリ昆布、フノリ、鰤(ぶり)、鮫(さめ)とある。,に漁す 中タイショ シロ井シ ヲヤス村 人家アリ 城下より追放人此村に送る也
ウンカ
,
川
カルヤヲヤス シヲクビ崎 ユムキナ井 メツタマチ 何れも 産物 昆布 ,)ウタ ケンニチ ヤキヲサツベ ツキアケ カツクミ シチ(ウ)シ
川
戸井町史
([昆布漁])
蝦夷地の昆布として最初に本州に知られたものは、函館から東の海岸即ち銭亀沢から釜谷までのもので、釜谷の
ウンカ
,
川
附近で産する「宇賀昆布」銭亀沢の志海苔(しのり)で産する「志海苔昆布」であった。 ,そして品質が名実共に日本一の昆布は、
川
汲(かっくみ)(尾札部)産のものであった。,釜谷を流れている小
川
を昔から「ウカカワ、
ウンカ
川
、雲加
川
、運荷
川
、運賀
川
、ウェン
川
」等と呼ばれたり書かれたりしている,『庭訓往来』に「雲加(
うんか
)の昆布」と書いているのは、東方雲加というところから出る昆布である。
戸井町史
([下海岸のクドキ節])
杉野は「寒坂(さむいさか)」「湯の
川
」「鮫
川
」「浜中」「高森」「箱館」「新
川
」となっているが、水戸は「,みずなし)、シヅガウタ、ヨモギナイ、セタライ、山中、石子積、ホヤカラ、エゾムラ、シオクビ、シロイハマ、
ウンカ
,
川
、石崎、潮泊、石倉、銭亀沢、箱館」の順になっている。 ,(昔はコウライ)、目名、目名沢、石倉、銭亀沢、志海苔、根崎、寒坂、湯の
川
(○○○)、鮫
川
(○○)、浜中,(○○)、高森(○○)、箱館(○○)、新
川
(○○)」の順である。
戸井町史
([石器時代の戸井])
、椴法華、七飯町鳴
川
の高台等で尖底土器や早期の石器が発掘された。,この時代には原木
川
、熊別
川
、戸井
川
、ヨモギナイ
川
、
ウンカ
川
、小安
川
、タカ屋敷
川
等の流域の海岸段丘に小集落,西浜町の〓金沢の畑地も中期の遺跡で、厚い層の貝塚があり、貝塚の端の底から
川
砂が現われ、この時代の
川
口と,東浜町の熊別
川
の左岸の海岸段丘は、昔から畑を耕やす時に多数の石器や土器の破片が出土していた。,この外、町内の海岸段丘の一段下の
川
沿いの地帯の各所に晩期亀ケ岡式の遺跡がある。
戸井町史
([戸井と近隣の変遷])
家二十軒 一、あるう
川
川
あり 一、亀 田
川
あり、澗あり、古城あり、一重堀あり。 ,石子積の石仏を拝んでここを過ぎ、ほやから、えぞむら、しおくび、しろいはまを通り過ぎ運荷(
うんか
)
川
を渡,それでシャモは精進(しょうじん)
川
というのをソウズ
川
といっている。,一、大森、水悪し、
川
橋あり。 一、下湯の
川
、雑穀、水悪し。 ,
ウンカ
川
、カルヤラヤス、シオクビ、ユムキナイ、メッタマチ いずれも昆布、ブリ、サメ、フノリ。
戸井町史
([松浦武四郎の『蝦夷日記』(嘉永三年)])
二十二町十三間 一、ショウシ
川
より 明神
川
及へ 一、
川
汲より ツキアゲ,しばらく行くとスノ
川
という小
川
がある。この
川
はその名のように
川
水が酸(す)っぱい。,村内に酸(す)
川
という小
川
がある。恵山の湯元から流れ落ちる
川
で魚類は一匹も棲んでいない。,小
川
がありこれを
ウンカ
川
という。この
川
を渡る。,さて村内にある小
川
を
ウンカ
ガワといっていることを聞いたが、『庭訓(ていきん)往来』に「宇賀の昆布」と書
恵山町史
(4、江戸時代の昆布漁)
一、トヱト申地、佐藤加茂左衛門殿御預り、出物「赤昆布」「
ウンカ
昆布」と申す大名物(だいめいぶつ)、「黒昆布,右同断也(産物は戸井と同じで昆布等)……箱館者共支配候、是も小船ニ而度々通由 一、イキシナイ(女那
川
),者共年々商売仕候 以上のように、トイ・シリキシナイ・イキシナイ・コブイの下海岸一帯では、産物「赤昆布・
ウンカ
,船役については、有
川
から木古内とあるので、いわゆる入稼税のようなものであったと思われる。 ,なお「真昆布」の価格は、尾札部・
川
汲あたりが最も良質の昆布生育地であり、ここの値段を最高として、産地が
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