機関トップ
資料グループ
テキスト一覧
年表一覧
キーワード一覧
函館市/函館市地域史料アーカイブ
トップページ
詳細検索
詳細検索
目録
テキスト
年表
キーワード
その他(トップページ等)
検索条件を追加
目録
テキスト
年表
キーワード一覧
その他(トップページ等)
AND
OR
NOT
年号変換
閉じる
検索結果
: 15件
辞書ファセット
○○○
△△△
10件
20件
50件
100件
(並べ替え)
テキストタイトル(昇順)
テキストタイトル(降順)
ページタイトル(昇順)
ページタイトル(降順)
掲載ページ(昇順)
掲載ページ(降順)
/ 1ページ
南茅部町史 上巻
(寛政の「ひろめかり」)
寛政の「
ひろめかり
」
ひろめかり
未来社刊「菅江真澄全集二」より転載 寛政年間、当時の松前箱館辺,、松前城下を出て東海岸沿いに箱館にいたり、恵山岬まで来て一一月一八日、松前にひきかえすまでの日記を「
ひろめかり
,この
ひろめかり
の図絵によれば、当時は昆布は鎌刈りするものが多く、舟だけでなく泳いだり、潜水して刈るものもあったようである / 寛政の「
ひろめかり
」
戸井町史
([菅江真澄の戸井紀行(寛政元・三年)])
は寛政元年(一七八九)七月、福山を出発し、下海岸を通って恵山まで往復し、見るもの聞くものをくわしく『
ひろめかり
,この時の紀行を『
ひろめかり
上、下巻』にまとめたのであるが、根田内(恵山)を出発してから、戸井の運上屋までのことを,「十七日は旧暦十月、運上屋は戸井」でなければ、前半の缺(か)けている『
ひろめかり
』は正しく読みとれない,内田武志が『松前と菅江真澄』(昭和二十五年刊)に『
ひろめかり
』の継缺(だんけつ)文を発見したと書いている,『
ひろめかり
』の戸井から石崎に一泊して、ここを出発した後の紀行文を意訳して見ると 「十九日(
椴法華村史
(昆布の採取方法)
各地で研究改良されたらしく、前松前藩時代の末ごろに箱館・尾札部方面の海岸を歴遊した菅江真澄の紀行文『
ひろめかり
函館市史 通説編 第一巻
(地誌・風俗書)
ことに寛政年間の菅江真澄の来遊は有名で、その見聞録のひとつの『
ひろめかり
』は、この地方の記録として貴重
戸井町史
(一、武井の島の伝説)
この島物語は、『
ひろめかり
』という冊子にくわしく載せておいた」と書いている。,真澄が「ミオとアワビの争いの島物語は、『
ひろめかり
』という冊子にくわしく載せておいた」と書いている『
ひろめかり
戸井町史
([神社の沿革])
(一七六五)となっているが、それから二十四、五年後の寛政元年(一七八九)に書かれた菅江真澄の紀行文『
ひろめかり
戸井町史
([戸井の地名考])
然しムイとアワビの物語を書いたという「
ひろめかり
」の上巻は散逸(さんいつ)して今はない。,真澄の『
ひろめかり
』には、漢字で「川尻」と書かれている。,ベンザイマ(弁才間)この名は、寛政元年(1789)の『
ひろめかり
』に書かれているだけである。,斉藤澗という名は、寛政元年(1789)の『
ひろめかり
』に載っているが、その由来は不明である。,ヨモギナイ(蓬内)『松前志』や『
ひろめかり
』に「ヨモギナイ」という名が書かれている。
戸井町史
(一、運上屋時代(場所請負時代))
菅江真澄の紀行文の、寛政元年(一七八九)に書いた『
ひろめかり
』、寛政三年に書いた『えぞのてぶり』の随所
戸井町史
([戸井と近隣の変遷])
⑧寛政元年(一七八九)『
ひろめかり
』 『
ひろめかり
』は、寛政元年七月、菅江真澄が下海岸に昆布取りを,『
ひろめかり
』は上巻と下巻に分けて書いたらしく上巻が散逸したのである。,このことから『
ひろめかり
』紀行は、船で根田内に行き恵山に登り、帰りは陸行したのであるが、戸井の運上屋に,ここにミオとアワビが戦ったという昔話があるが、この昔話は『
ひろめかり
』という冊子に載せておいた。 ,その茎(くき)の図は『
ひろめかり
』という日記にのせておいた。
函館市史 銭亀沢編
(磯漁)
また、菅江真澄の手になる寛政年間に函館の東方から福山までの海岸部の紀行文と昆布取りの道具の図集である「
ひろめかり
恵山町史
([蝦夷地の馬])
菅江真澄の紀行文『
ひろめかり
』は、銭亀沢村での昆布採りなど、この年、寛政元年に見聞したことが書かれたものであり
戸井町史
([蝦夷地と馬])
寛政元年(一七八九)に書いた菅江真澄の紀行文『
ひろめかり
』に 「七月十九日、石崎を立って潮泊にくると
戸井町史
([下海岸のクドキ節])
寛政元年(一七八九)五月、菅江真澄の書いた『
ひろめかり
』に載っている戸井の地名は 「原木、鎌歌、トイ
南茅部町史 上巻
(寛政三年五月)
その茎は「
ひろめかり
」という冊子に書いてある。
戸井町史
([昆布漁])
寛政元年(一七八九)、菅江真澄が下海岸の昆布取の状況を見に来て「
ひろめかり
」という紀行文に、昆布取の状況
/ 1ページ