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函館市史 通説編 第一巻
(勘解由の米艦訪問)
旗艦旗が一時ミシシッピー号に移されたので、同艦に漕ぎ寄せると、べンテや
ウイリアムズ
の案内で一同乗込み、,通弁をもって一応の挨拶を交わした後着座したが、提督をはじめベンテ、ペリー(息子で提督秘書官)、
ウイリアムズ
函館市史 通説編 第二巻
(ペリーの要求と松前藩の回答)
応接所山田屋寿兵衛宅で第1回の日米会談が行われたが、この時のアメリカ側の代表は、旗艦付参謀大尉ベント、同主席通訳官
ウイリアムズ
,出席していない点で、この会談は予備的会談であったといってよいが、両国代表が所定の席に着席するや、まず
ウイリアムズ
,翌4月23日、松前藩側は応接所でこれに対する回答書を
ウイリアムズ
に手渡したが、その内容は、冒頭に「昨(
函館市史 通説編 第一巻
(ペリー提督上陸会談)
これに対し当方からは松前勘解由をはじめ遠藤又左衛門、石塚官蔵その他が列席すると、
ウイリアムズ
は書面をもって,なお、午後4時ころベンテ、
ウイリアムズ
、羅森らが回答書を求めて訪れたが、その回答は結論として遊歩境界の
函館市史 通説編 第二巻
(巨大な艦船)
の速力を知ることができなかったが、4月21日、ポーハタン号とミシシッピー号の「火輪船」が入港した際、
ウイリアムズ
,
ウイリアムズ
は、「われわれがわずか四日の航海でやって来たことに、彼らは少々驚いていた」(『随行記』)と,記しているが、松前藩の役人たちの驚きようは、まさに
ウイリアムズ
の記すとおりであったとみてよい。
函館市史 通説編 第一巻
(アメリカ士官との応接)
アメリカ士官との応接は翌日22日で、昼四ツ半時(午前11時)ころ、アメリカ士官側は提督副官べンテ、通訳官
ウイリアムズ
,そしてまず通辞
ウイリアムズ
は、日本語で箱館来航の理由や横浜、下田停泊中のことなどを述べた。,一方、この状況を、アメリカ通訳官
ウィリアムズ
著の『ペリー日本遠征日誌』(馬場脩訳)によって見ると次の通,提督日本遠征記』には、 朝(五月十八日)、指定の通り司令官副官が二人のアメリカ通訳、即ち
ウイリアムズ
函館市史 通説編 第一巻
(2水兵の埋葬)
この日正午ごろ
ウイリアムズ
が応接所に来て、又左衛門に会い、「今朝葬り候場所え石塔取建て、且つ廻りえ木にて,ところが5月2日になって、また
ウイリアムズ
が来て、昨夜またもやバンダリヤ号の水兵1人が病死したので、先日
函館市史 通説編 第二巻
(ペリーから知らされた条約)
4月21日、藤原主馬・関央・代嶋剛平・蛯子次郎の応接方がマセドニアン号で幕吏の書状を受け取ったあと、
ウイリアムズ
,すなわち、松前藩の役人は、4月21日、
ウイリアムズ
が応接方に漢文の条約文を示したことにより、応接方の記憶,は、アメリカ人の箱館上陸を許可し、翌日山田屋寿兵衛宅で応接する旨決定したが(「御用記写」)、これは、
ウイリアムズ
函館市史 通説編 第二巻
(筆談から生じた誤解)
松前藩側の拒否にあい、それが誤訳から生じたことを知ったペリー側(ベント、及び
ウィリアムズ
等)は、改めて,そのため松前藩側は、この日の会談で羅森、
ウイリアムズ
を介してベントに対し、これらの件に関する具体的な説明
函館市史 通説編 第二巻
(幕府の条約草案)
ただ、ペリー側の通訳として活躍したS・W・
ウィリアムズ
の日記の3月10日(安政元年2月12日)条に「昨年,の書翰〔大統領の書翰〕では一港の要求であったのが、ペリーは今や五港を要求している」(
ウィリアムズ
著・洞富雄訳
函館市史 通説編 第二巻
(ペリーの新たな思惑)
と名村五八郎がいるものと理解していたことは、4月21日、松前藩の応接方がマセドニアン号に向かった際、
ウィリアムズ
,、ペリーが「函館には條約に関して自分と會商を行ひ得べき人物がゐない」(『遠征記』)と判断したことと、
ウイリアムズ
函館市史 通説編 第一巻
(士官らの市中見物)
(『ペリー日本遠征日誌』) とあって、
ウイリアムズ
ら一行は弁天社から高龍寺や実行寺辺
函館市史 通説編 第一巻
(松前藩の回答書)
回答書 4月23日、前日の接見における約定により、文書による回答を受取るため、提督副官べンテ、通訳官
ウイリアムズ
函館市史 通説編 第二巻
(黒船渡来)
碇泊するや、ただちに応接方藤原主馬・関央・代嶋剛平・蛯子次郎が橋船でポーハタン号に赴き、ペリー付通訳
ウイリアムズ
函館市史 通説編 第二巻
(市中での買物とバザー)
この沖の口役所における商品の売買が、
ウイリアムズ
のいう「特設市場(バザー)」(『随行記』)であった。
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