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函館市/函館市地域史料アーカイブ

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函館市史 通説編 第一巻 (ディアナ号箱館入港)

ディアナ号箱館入港 ディアナ号 「北夷談」付図 (文化9年松田伝十郎著)  ディアナ号は9月11,けておいた部下の水夫平蔵を水先案内として乗込ませ、同16日夜箱館港外に停泊したが、嘉兵衛は早速小舟に乗ってディアナ,16日夜ディアナ号が箱館港外に停泊した時などは、対岸一帯のかがり火の光が海波に映じてすさまじい情景であったという,この日松前奉行服部備後守貞勝も箱館に来着し、翌17日いよいよディアナ号は箱館に入港した。  ,リコルドの上陸に先だち、嘉兵衛が官命を帯びてディアナ号を訪問、オホーツク長官の書を受領、9月19日正午 / ディアナ号箱館入港
函館市史 通説編 第一巻 (ディアナ号の箱館出帆)

ディアナ号の箱館出帆 こうして事件は落着し、実に2年2か月と26日の長きに及んだゴロウニンらの監禁生活,も、ついに終りを告げ、ディアナ号は9月29日箱館港を出帆して帰国の途についた。  ,このディアナ号来航事件は、箱館港にとっては、寛政5年ラックスマン来航以来の大きな事件であった。,9月27日ゴロウニンらがディアナ号に乗船した時には、市民もロシア船に群がり至り、彼らも快く艦内を案内して / ディアナ号の箱館出帆
椴法華村史 (高田屋とゴローニン)

高田屋とゴローニン こんな事件が続いた数年後の文化八年(一八一一)ロシア海軍ゴローニン大佐は、ディアナ,号で千島列島の測量中薪水欠乏となり、クナシリ島に入港したが、この地を守備していた南部藩兵は、直ちにゴローニン,真相を訴え、帰国を認めてもらい、高田屋嘉兵衛の尽力により文化十年(一八一三)九月二十九日、ゴローニンはディアナ,号に乗船し箱館より帰国の途につき一件はようやく落着した。
函館市史 通説編 第一巻 (嘉兵衛の帰国)

嘉兵衛の帰国 文化10年春、解氷期を待ってディアナ号はカムチャツカを出帆、嘉兵衛、リコルドが国後島に
函館市史 通説編 第一巻 (ロシア使節との応接)

プチャーチンを福泉寺に引見、会談は同月3日から開かれたが、翌4日はからずも大津波が起こり、停泊中のロシア軍艦ディアナ,号が破損するという事件が起きた。  ,なお破損したディアナ号は、君沢郡戸田(へだ)村で修理することになったが、同地に回航中再び暴風雨に遭い沈没
函館市史 通説編 第一巻 (弁天岬台場)

弁天岬台場(岩城福三郎氏写真提供)  これより先、安政元年ロシア軍艦ディアナ号が津波により下田で,後ロシア皇帝はこの感謝の証として、下田に残したディアナ号の備砲52門をわが国に寄贈したので、その内若干門
函館市史 通説編 第一巻 (リコルドの再航)

リコルドの再航 リコルド  一方、ゴロウニンの救出を誓って去ったディアナ号副艦長リコルドは、文化
函館市史 通説編 第一巻 (写真)

またアメリカ艦隊より少しおくれて入港した、ロシア軍艦ディアナ号に乗っていた、モジャイスキーもダゲレオタイプ
恵山町史 ([後松前藩時代の道])

(註1)ゴロウニン事件  文化8年(1811年)ロシアの艦船ディアナ号の艦長・海軍少佐ゴロウニンが、,ディアナ号の副長リコルドは、艦長ゴロウニンらを救出するため、本国に帰り日本の漂流民を連れて引き返し、幕府
恵山町史 ((3)弁天岬砲台と五稜郭)

大砲の中には露国使節プチャーチンの座乗船ディアナ号の大砲も含まれ、まさに「海の要塞」ともいうべき威容を
函館市史 通説編 第一巻 (ゴロウニンの捕縛)

年フォストフらロシア人の来襲以降、北門の警備を厳重にして備えていたところ、同8年に至り、ロシアの軍艦ディアナ,号の艦長ゴロウニン少佐以下8名を、国後島で捕えるという事件が起きた。  
函館市史 通説編 第二巻 (幕領初期に直面した問題)

のことであり、それ以前に箱館に入港した外国船は、安政元年8月30日、ロシアの対日使節プチャーチンの乗船したディアナ,号の入港(9月1日、船将次官ポシュエット、徒目付平山謙二郎・箱館奉行支配調役下役出役吉見健之丞等とディアナ,号上で会見し、薪水食料の供給を要求するとともに、大坂で幕府と交渉したい旨の老中宛書簡を箱館奉行堀利熈に
函館市史 通説編 第一巻 (取締港則)

開港幾日もなく3月5日には、さきに下田で遭難したロシア人159名(ディアナ号乗組員)を乗せた米国商船が
函館市史 通説編 第二巻 (弁天台場の築造)

そのため箱館奉行は、万延元年10月、ロシアのディアナ号が沈没した際、プチャーチンが幕府に献上した52挺
函館市史 通説編 第一巻 (釈放の交渉会見)

艦長以下のロシヤ人捕虜の釈放と解すべきものでありますが、さうだとすれば日本沿岸でわれわれの払った苦労は、ディアナ,号の全士卒にとってこの上もなく愉快な職務上の努力と変はるのであります」  それから暫くは単なるお世辞の
恵山町史 (6、郷土と高田屋嘉兵衛)

クナシリ島のトマリでロシアの軍艦ディアナ号の艦長ゴロウニン少佐らを幕府の役人が捕らえ箱館−松前に送る。,文化 9)<44歳>・8月14日高田屋嘉兵衛ら観世丸でエトロフ島からの帰途、クナシリ島沖でディアナ,同年12月8日、囚われた嘉兵衛、ディアナ号の副長リコルドに事件の発端・真相を話し、ゴロウニンの釈放について,同年9月29日、ゴロウニン艦長ディアナ号に乗船し帰国の途に着き、事件円満に解決する。,日(1812年9月12日、ロシア暦同月7日)、択捉島から観世丸で箱館に帰る途中、国後島沖でロシア軍艦ディアナ
函館市史 通説編 第二巻 (開港直後の入港外国船)

米商船カロライン・フート号の乗組員数のうち、168人は安政2年3月4日・3月6日入港時のもの(ディアナ,号のロシア人を含む)、21人は同年5月1日入港時のもの
函館市史 通説編 第二巻 (「一時居住」の解釈)

ところが下田に入港するや、対日ロシア使節プチャーチンの乗艦ディアナ号が大津波で大破し、使節一行が帰国できないでいるという
恵山町史 (3、幕府直轄以降の箱館六ケ場所)

提督ペリーがポーハタン・ミシシッピーの2艦を率いて入港、8月30日には、ロシア提督プチャーチンも戦艦ディアナ,号で箱館に入港するなど、対応を迫られた松前藩にとって未曾有の年となった。  
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