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函館市史 通説編 第二巻
(アイヌ学校)
特に「アイヌの父」といわれた司祭ジョン・
バチェ
ラ
ー(John Batchelor)は、当時教育行政か
ら
,見捨て
ら
れていたアイヌのために、幌別の愛隣学校をはじめとした教育施設を全道に開設した。 ,「札幌には仕事のために一番遠い場所か
ら
も、しばしばアイヌがやって来ますが、函館では一年中アイヌを見ることがありません,」(仁多見巌訳編『ジョン・
バチェ
ラ
ーの手紙』)と
バチェ
ラ
ー自身が報告している函館にもアイヌ学校が開設された,翌26年には谷地頭に校舎を新築している(『函館沿革史』、ジョン・
バチェ
ラ
ー『我が記憶をたどりて』)。
函館市史 通説編 第一巻
(その他の外国人研究家)
彼は2つの論文に同じ写真を用いているが、それ
ら
はアイヌの祖先のものとして、ミルンと同じような考え方をしている,また、函館の石器を紹介した人にイギリス人宣教師ジョン・
バチェ
ラ
ーがいる。,明治10年に来函してアイヌ民族を研究し、著書も多いが、明治34年の『アイヌ人及其説話』に函館公園か
ら
発見,彼は石器時代の遺物についてアイヌ説をとっているが、シーボルトに始まるこれ
ら
の外国人研究家のアイヌ説は、,ロマイン・ヒッチコックの報告書“函館在住、アベ氏のコレクション” ジョン・
バチエ
ラ
『アイヌ人及其説話
函館市史 通説編 第二巻
(函館におけるキリスト教の庶民布教)
同会のアイヌ伝道専任たるジョン・
バチェ
ラ
ーが来函したのは明治10年であ り、同25年に札幌へ転住するまでの,
バチェ
ラ
ーに代ってコルバンが来函したのは明治30年、翌年東川町に施療病院を創設(新川病院の前身)したが,明治23年に来函したベルリオーズが孤児を収容したのをきっかけに、同31年上湯川の地に、フ
ラ
ンス・ト
ラ
ップ,入信を得ていたし、同10年にもそのキリスト教ブームが続き、日本聖公会においてはアイヌ伝道の師ジョン・
バチェ
ラ
ー,なかろうが、それと表裏することではあるが、その宗派の伝道の成否のかなりの部分は-例えば、日本聖公会のジョン・
バチェ
ラ
ー
函館市史 通説編 第一巻
(日本人人種論)
又大風に吹ち
ら
され申候故、十人計り手取り合ひ往来仕候由、蝦夷人語り申候。,そこでこの優れた漁猟術を教えても
ら
おうとするとどこかへ姿を消してしまった。,、河野常吉「チャシ即ち蝦夷の砦」の″コロポックル説の誤謬(ごびゅう)″や同会報第1巻第2号のジョン・
バチェ
ラ
ー,
バチェ
ラ
ーは明治34年に『アイヌ人及其説話』の中で「アイヌは始め日本全国に居住す。,古昔にあ
ら
ざる時代なりと信ず。」
函館市史 通説編 第二巻
(その他の出版物)
の編纂による『現今北海道要覧』は道内諸般の状況を簡明に叙述したもので、明治13年9月に大町の日彰社か
ら
出版,さ
ら
に、明治18年「出版々権書類」(道文蔵)には『函館県職員録』、『歯科全書』、『増訂北海道要覧』、『,なお、明治20年~30年代に函館で発行された書籍の主なものを、市立函館図書館の『郷土資料分類目録』か
ら
採録,地理教育/北海道地名唱歌 北海道名所案内 函館港名家及実業家便覧 函館案内 函館/柳さく
ら
,展覧会誌 高崎竜太郎 柏倉菊治 福原敬太郎 高崎竜太郎 花井菊仙 井口一眠 高崎竜太郎
バチェ
ラ
ー
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