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函館市史 通説編 第一巻
(ブラキストン・ライン)
ブラキストン
・ライン
ブラキストン
は、鳥類および哺(ほ)乳類について、シベリア大陸系と東亜温帯系の日本列島内,(後述「3
ブラキストン
・ラインとその周辺」参照) /
ブラキストン
・ライン
函館市史 通説編 第一巻
(ブラキストン・ライン)
ブラキストン
・ライン 日本アジア協会というのは、当時の京浜地区に居住していた欧米知識人学者などの集まりで,
ブラキストン
の学説は、当時としては非常に斬(ざん)新な論旨であっただけに、多くの学者に深い感銘を与えた,ジョン・ミルンも大きな感動を受けて、
ブラキストン
の業績を激賞し、その功をたたえて、津軽海峡を生物地理学上,
ブラキストン
・ラインと呼称することを提案した。 /
ブラキストン
・ライン
函館市史 通説編 第一巻
(ブラキストン論文)
ブラキストン
論文 生物の分布を考察する場合に、海峡の存在が重視されるのは、陸上生物の多くは海峡によって,この点に着目して、日本列島における生物の分布について論究した最初の論文が、
ブラキストン
の「日本列島とアジア,トーマス・ライト・
ブラキストン
(Th.W.Blakiston)は英国陸軍砲兵大尉で、クリミア戦争に参加 /
ブラキストン
論文
函館市史 通説編 第一巻
(トーマス・W・ブラキストン)
トーマス・W・
ブラキストン
ブラキストン
採集の石斧(市立函館博物館蔵) 函館には文久3(1863,)年から商事会社、製氷、製材等の事業を行っていたイギリス人トーマス・ライト・
ブラキストン
が来住していた,彼の名を冠した
ブラキストン
・ラインは有名であるが、アイヌ民族や石器時代の遺跡調査の案内役をしていたことは,モースが函館で貝塚の発掘ができたのも、後記するようにヒッチコックが函館で収集品を見ることができたのも、
ブラキストン
/ トーマス・W・
ブラキストン
函館市史 通説編 第二巻
(ブラキストン商会と証券発行)
ブラキストン
商会と証券発行
ブラキストン
はイギリス人で、文久2(1862)年貿易商社の西太平洋商会と,慶応3(1867)年、
ブラキストン
は同国人ジェームス・マルと共同で「
ブラキストン
・マル商会」を設立した,しかも、なお西太平洋商会の代理業を兼ねていた(トーマス・M・
ブラキストン
著、高倉新一郎校訂、近藤唯一訳,
ブラキストン
が注文した証券が印刷されているのを見て、明治7年9月17日付で大隈大蔵卿と吉田大蔵少輔宛に /
ブラキストン
商会と証券発行
函館市史 通説編 第二巻
(清商の組織)
また万順号、泰記号、フウシュンの場合は
ブラキストン
・マール社中の所轄という表記からも分かるように
ブラキストン
,商社と合併し函館支店も
ブラキストン
商社と合併し、函館では万順号で取引があれば揚厚載が総理するが、函館では,
ブラキストン
名義の契約しかしないから揚は総理することはない、と証言。,また〓瑞軒は函館の万順号支店は
ブラキストン
と合併営業をしていると同様の証言しているが前に述べたようにこれは,〓生福 張炳熈 支配人 同、帳面方 通弁方、帳面方 蔵番、通弁方 蔵番 蔵番
ブラキストン
・
函館市史 通説編 第二巻
(発行停止)
イギリス公使は、まず
ブラキストン
証券を函館で発行前に知ったのはどういうわけかと疑念を示した。,また
ブラキストン
は、函館の地方官はすでにこれを知っていたはずだと言っている。,さらに
ブラキストン
が証券を発行してどうして差し支えがあるのか。,、英公使パークスは、外務省との折衝の結果、「
ブラキストン
商会証券」の発行禁止、回収を函館イギリス領事に,これで、「
ブラキストン
社証券」発行の件は終止符を打つことになった。
函館市史 通説編 第一巻
(製材)
製材
ブラキストン
の製材所の図(若山徳治郎氏蔵) この時代に特筆される工業に
ブラキストン
の製材工場,
ブラキストン
はこれをもって、当時の地蔵町(いまの豊川町)の島野市郎治の埋立地986坪を借入れて工場を設
函館市史 通説編 第二巻
(政府の対応)
これによると、
ブラキストン
社の注文で、10円券の模写図を送ってきた。,もし金融に差支えがあった時は、証券を差出せば正金100円を渡し、損失を生じた時は、
ブラキストン
が引き受,
ブラキストン
は商社の設立、証券発行のことも、函館の商人、取引先の清国商人にも相談して了解をえているので,これは
ブラキストン
の証券を株券または小切手か、あるいは紙幣と見るかの解釈の相違であった(前掲『蝦夷地の,イギリス公使からは、
ブラキストン
社の証券についてはなんらの知らせも受けていないので、函館在留のイギリス
函館市史 通説編 第一巻
(福士成豊の観測)
福士成豊の観測 福士成豊 函館では前にも述べたように、慶応4(1868)年以来明治4年まで
ブラキストン
,っていたが、同年ケプロンが北海道開拓使顧問団長として来日すると、ただちに気象観測の重要性を説いたり、
ブラキストン
,そこで彼は
ブラキストン
を通じ、開拓使函館支庁開拓使九等出仕の福土成豊にすすめて、気象観測所の設置を開拓使,に建議させる一方、測量の技術者である福士に
ブラキストン
の測器を貸し与え、官舎(函館区船場町9番地)にすえつけて,このあと、
ブラキストン
が福士を通じて進言した観測所設置のことについては、間もなく開拓使函館支庁の認めるところとなり
函館市史 通説編 第一巻
(学術上の調査)
更に英人
ブラキストン
は、ロシア沿海州調査の目的で文久元年箱館に来て、のちにわが国最初の蒸汽製材工場を設,採集研究をして、第1・2編で述べたように津軽海峡がわが国動物の一分界線であることを発表、ついに同海峡に
ブラキストン
,
ブラキストン
採集の鳥類標本は、後に箱館仮博物場に寄贈され、現在は北海道大学付属博物館に保存されている。,マキシモウィッチ
ブラキストン
アイヌに関する研究は特に外国人の注意をひいたもので、
南茅部町史 上巻
([自然環境と動物区分])
津軽海峡には動物区分の
ブラキストン
・ライン(
ブラキストン
一八八三年)がある。,
ブラキストン
は鳥類については北海道にはエゾヤマドリ(エゾライチョウ)、シマフクロウなどがいるが、本州には
函館市史 通説編 第一巻
(八田三郎の研究)
日本列島北部の動物相が東亜温帯系とシベリア大陸系の両要素によって形成されていることは前述したところであるが、
ブラキストン
,八田三郎はドイツ留学中、「北海道の動物地理」と題する論文を発表(大正2年)し、
ブラキストン
の哺乳類、鳥類
函館市史 通説編 第一巻
(島野市郎治の埋立)
出願し、許可を受け1,715坪余を埋築して造船所敷地としたが、文久3年になってそのうち704坪を英国人
ブラキストン
函館市史 通説編 第二巻
(開港期の欧米系商社と外国商人)
ポーター 貿易商人 西太平洋会社 ブラキスン ホワイトリー レイ スコット
ブラキストン
,商会
ブラキストン
マール
ブラキストン
商会 貿易商
ブラキストン
マール
ブラキストン
,商会 貿易商
ブラキストン
スポティスウッド アストン C.H.スミス スチーブンソン フレッチャー
函館市史 通説編 第二巻
(民営の青函航路)
一月九日 (明治六年「評議留」国立史料館蔵) 函館支庁では5年中に中村善造が同じく
ブラキストン
,小田は許可後
ブラキストン
から2万4000円でマギー・ローダー号を購入したが、この汽船は5年4月に
ブラキストン
,ところが
ブラキストン
は経営上の問題から同年11月、函館支庁外務掛へマギー・ローダー号を始め、その他の財産,盛業に向かおうという時期に何故転売するに至ったのかは不明であるが、5月に中村善造が
ブラキストン
から「雇船貨一件,またこの中で船主が日本人と外国人と共同であったように表現しているが、元の所有者であった
ブラキストン
が何
函館市史 通説編 第一巻
(八田ライン)
八田ライン 八田三郎は
ブラキストン
の主張の一部を事実として認めながらも、後述するように、半島説を主張
函館市史 通説編 第二巻
(汽船の購入)
横浜に出張した主任務の内、ロワ号買入交渉というのは、旧幕府箱館奉行杉浦兵庫頭が箱館在留のイギリス商人
ブラキストン
,奥羽鎮撫総督府の指示を受けた秋田藩が、箱館で
ブラキストン
を交渉相手として、米国商船カガノカミ号(のち陽春艦,このため、出兵費用の捻出に苦慮していた奥羽鎮撫総督府に、代金の立替を懇請された箱館府は、
ブラキストン
の
恵山町史
([日本の自然])
このことについて、トーマス・W・
ブラキストン
は、北海道と本州で採集した鳥獣を比較し、北海道の野鳥が大きく,すなわちこれが
ブラキストン
ラインである。 ,恵山町は、津軽海峡の東口に存し、この
ブラキストン
ラインの直ぐ北に接する位置にある。
椴法華村史
(外国船と椴法華の鱈)
「ジョン・ウィルの回想記」当作守夫訳(ジョンウィルはこの時、
ブラキストン
所有のカンカイ号船長)によれば
恵山町史
([3地区における水温と潮位])
文献8〉 昭和59年度浅海漁場調査報告書(尻岸内町豊浦・大澗、女那川地区)、昭和60年8月 *① 「
ブラキストン
,線」明治16年、「北海道と本州の鳥獣類は津軽海峡を境界にしてかなり異なる」、と
ブラキストン
(英)が発表
恵山町史
([津軽海峡の概要])
またこの津軽海峡は、陸上動植物分布の境界を示す
ブラキストン
線*①が引かれ、海峡という地理的境界は東北・
函館市史 通説編 第一巻
(初期の観測器)
その後、アルブレヒト、
ブラキストン
等による観測は、彼らが自国から持込んだ測器を用いていたことが明らかであるから
恵山町史
([その他])
それは、第1に、北海道の南端に位置し、鳥類の渡りルートにあり、かつ、
ブラキストン
ラインの北に位置するという
函館市史 通説編 第一巻
(気象観測)
このほか
ブラキストン
によっても行われており、それが明治になり福士成豊に受け継がれ、わが国最初の測候所となった
函館市史 通説編 第一巻
(シュミット・ライン)
北海道を中心とした生物分布境界図 1.シュミット・ライン 2.宮部ライン 3.石狩低湿地帯 4.
ブラキストン
・ライン
函館市史 通説編 第二巻
(南部藩の箱館脱出)
釼付前装式施条銃)400挺(1挺ニ付金18両2分銭272文) 計 金7416両 8月6日にはイギリス人
ブラキストン
,12日四ツ時前、陣屋の責任者番頭葛西正兵衛以下が留守居所へ集合、
ブラキストン
の居館構内から橋船でオーガスト
函館市史 通説編 第一巻
(開港前後の観測)
3年間は空白となっているが、そのあと、たまたま対清、対露の貿易に従事したイギリス人トーマス・ライト・
ブラキストン
,また、明治4年アメリカから招へいした開拓使顧問団長ケプロンは、明治5年に、函館における
ブラキストン
の気象観測
恵山町史
([恵山町の鳥相])
かつて先人のトーマス・W・
ブラキストン
が本州と北海道に生息する動物を調べ、「北海道に生息する鳥や動物は,地震学者ミルン教授がこの動物分布境界線を「
ブラキストン
・ライン」と呼ぶことを提唱、後に世界中の学界で認
函館市史 別巻 亀田市編
(函館と天然氷)
には「製氷に付間合並びに氷室見取図」が記されており、また『天然氷』(成島嘉一郎)によれば、「慶応年間
ブラキストン
恵山町史
([函館と亀田半島の気候特性])
亀田半島の気候特性] 北海道開拓使の顧問団長H・ケプロンは、函館で初めて気象観測を行った英人トマス・
ブラキストン
,1872年(明治5年)、
ブラキストン
の進言で官設の気象観測の必要性が採択され、日本最初の「函館気候測量所
函館市史 通説編 第二巻
(函館仮博物場の新設)
また、陳列品寄付の勧誘公告に応じて平田兵五郎よりウラジオストック市街の写真、
ブラキストン
より鳥類標本1300
椴法華村史
(明治十六年)
借上庫收納 十一月卅日 汐干昆布 九斗六升 ・この年十二月 椴法華村鱈不漁 ・この年、
ブラキストン
,、『
ブラキストン
・ライン』の構想を発表、北海道と本州間に動物の棲息分布上一線を画すべきことを主張する。
函館市史 通説編 第一巻
(函館考古会の設立気運)
函館考古会の設立気運 明治初年にミルン、モース、
ブラキストン
らの外国人が函館におもむいて貝塚や遺跡を
函館市史 通説編 第二巻
(五稜郭の採氷)
には文久年間に蔵前の池からの切り出しをその濫觴としており、また『函館区史』には慶応年間に居留英国人の
ブラキストン
,柳田の回想によれば中川は函館居留の
ブラキストン
に相談し、英国人ジョージを雇い入れ氷製造に成功したとある
函館市史 通説編 第二巻
(杉浦誠と開拓使運上所)
明治10年10月、イギリスの
ブラキストン
・マール社の申請にかかるイギリス帆船ヒルダ号が台湾より輸入した
函館市史 通説編 第二巻
(外国商船の取次業務)
それによれば外国商船の入港にさいして各商船別に函館居留の
ブラキストン
社、ハウル社、デュース社などが《引受人
函館市史 通説編 第二巻
(蝦夷地の警備)
しかし、この藩も奥羽越列藩同盟に加わることになり、8月12日
ブラキストン
の仲介で雇い上げた米国商船オーガスト
函館市史 通説編 第一巻
([目次])
生物の分布 第一節 分布概論 一 地理的分布の特質 二 生物環境としての函館付近 三
ブラキストン
・ライン
函館市史 通説編 第二巻
(刻昆布製造)
このうち、高田六三郎の製品はイギリス商人
ブラキストン
社中の中国人と約定の品であったがため、その処分をめぐって
函館市史 通説編 第二巻
(施設整備と為換業務の開始)
同町官有地のうち4000坪の用地を借用し、さらにその敷地内にあり開拓使が購入することになっているイギリス商人
ブラキストン
函館市史 通説編 第二巻
(肥田浜五郎の調査)
熟知している亀井惣十郎を顧問に迎え、湾内の深浅、海底の地質を調べ、あわせて辻、島野の両造船所、船場町
ブラキストン
函館市史 通説編 第二巻
(新政府の蝦夷地への関心)
の住まない所に漁夫等多くの人数を移住させ奥地の開拓に進め、航海、海運については、箱館在留のイギリス人
ブラキストン
函館市史 通説編 第二巻
(イギリス領事の報告)
このほかに
ブラキストン
(これは西太平洋会社の事業)の製材業とその輸出に関して若干の言及がなされている。
函館市史 通説編 第二巻
(街区改正がもたらした諸相)
このために居留外国人
ブラキストン
の家屋も買上られており、その他埋立などもして船場町は倉庫地として整備されることになった
函館市史 通説編 第二巻
(清国商人の登場)
たとえば明治5年3月に開拓使函館支庁で行った在函居留外国人の調査に英国商人ハウルが6名、同
ブラキストン
函館市史 通説編 第二巻
([目次])
営業状況 四 貸付会所の設置…967 設置の理由/会所用達/機能と業務形態 五
ブラキストン
,証券問題…977
ブラキストン
商会と証券発行/政府の対応/発行停止 六 地場銀行の設立…
函館市史 通説編 第二巻
(箱館の置かれた環境)
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
ブラキストン
BLAKISTON,T.W.
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