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函館市/函館市地域史料アーカイブ

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函館市史 通説編 第一巻 (ロシア使節との応接)

ロシア使節との応接 これよりさき、嘉永6年、長崎に来港して開国を要求していたロシア使節プチャーチンは,プチャーチンは、箱館で薪水を求め、かつ奉行に面接して江戸に呈する封書を提出した。,更にプチャーチンは、これから大坂に行くが、もし江戸で応接するならば、その旨大坂で通告されたいと述べ、9,かくして11月1日プチャーチンを福泉寺に引見、会談は同月3日から開かれたが、翌4日はからずも大津波が起
函館市史 通説編 第一巻 (日露国境問題)

日露国境問題 プチャーチン  日露和親条約は、すでにアメリカやイギリス、オランダとの間に締結された,しかし、プチャーチンは不時の災厄に艦船を失い、帰国さえも危惧(ぐ)されたので強く自説を主張することができず
函館市史 通説編 第一巻 (洋画)

安政元年箱館に寄港した露国提督プチャーチン一行のなかに、画家がおり(レーマンともモジャイスキーともいう
恵山町史 (2、開国・蝦夷地の再直轄)

・同年(同年)七月、ロシア使節プチャーチンがパルラダ以下四隻の軍艦を率いて長崎に来航。,プチャーチン、十二月には長崎に再び来航、軍事力を背景に前にも増して国交の強い要求を突付けられ、長崎奉行,もやむなく国書を受理し、幕府応接掛プチャーチンと会見、国境問題には応じる。,・一八五四年(嘉永七年)一月、プチャーチン、択捉島の日本所属を認め、樺太については南端のアニア港のみを
函館市史 通説編 第一巻 (弁天岬台場)

安政元年ロシア軍艦ディアナ号が津波により下田で破損したため、幕府に願い出て新たに帆船を造り、翌2年3月使節プチャーチン
函館市史 通説編 第一巻 (外人の居留問題)

リードらは前記の目的で下田港に来たのであるが、乗っていた船がそこで難破したために滞留中であったロシア人(プチャーチン
恵山町史 ([『田中正右衛門文書』より(市立函館図書館所蔵)])

アメリカ使節ペリーが軍艦5隻を率いて来箱、ついでロシア使節プチャーチンも来箱した年である。  
恵山町史 ((3)弁天岬砲台と五稜郭)

大砲の中には露国使節プチャーチンの座乗船ディアナ号の大砲も含まれ、まさに「海の要塞」ともいうべき威容を
函館市史 通説編 第一巻 (造船)

安政元年12月、竹内、堀両奉行は、奉行所傭船として蒸汽船の下げ渡しを申請したところ、幕府は、かつてロシア人プチャーチン
函館市史 通説編 第二巻 (弁天台場の築造)

そのため箱館奉行は、万延元年10月、ロシアのディアナ号が沈没した際、プチャーチンが幕府に献上した52挺
函館市史 通説編 第二巻 (「一時居住」の解釈)

ところが下田に入港するや、対日ロシア使節プチャーチンの乗艦ディアナ号が大津波で大破し、使節一行が帰国できないでいるという,プチャーチン等は、カロライン・フート号の下田入港を大いに喜び、リード等を歓迎したこともあって、両者の間
恵山町史 ([明治・大正期の農業])

代島は、安政元年(1854)4月、アメリカ使節ペリー、9月ロシア使節プチャーチン来訪の節は応接掛を勤め
函館市史 通説編 第二巻 (米・露・英の領事)

1856(安政3)年に領事館員の人選について、遣日使節であったプチャーチンは「ロシアの影響を日本政府だけでなく,、メンバーには造船技師や司祭、医師、天文学者を入れて、滞在は五年以下であってはならない」(平井繁訳「プチャーチン
函館市史 通説編 第二巻 (ペリーの抵抗と要求)

幕府が箱館開港を決定した理由は定かでないが、嘉永6年7月ロシアの対日使節プチャーチンが長崎に来航し、翌安政元年
函館市史 通説編 第二巻 (幕領初期に直面した問題)

安政2年3月以降のことであり、それ以前に箱館に入港した外国船は、安政元年8月30日、ロシアの対日使節プチャーチン
函館市史 通説編 第二巻 (箱館奉行の再置)

せられた主要な任務が右のようなものであったことは確かとしても、嘉永6(1853)年7月、ロシアの対日使節プチャーチン
恵山町史 (3、幕府直轄以降の箱館六ケ場所)

いて(4月21日)提督ペリーがポーハタン・ミシシッピーの2艦を率いて入港、8月30日には、ロシア提督プチャーチン
恵山町史 ((4)古武井高炉と一連の施設)

濱武作ノ臺   『延叙歴検真図』 安政6年(1859年)  嘉永6年(1853年)露国使節プチャーチン
恵山町史 (①松前地古武井熔鉱炉の研究並びに考証年表)

斐三郎、箱館出張、ペリーに応接 6月 3日・斐三郎、宗谷に参着、蝦夷地・樺太巡後箱館居残り 8月30日・プチャーチン,9月 4日・斐三郎、プチャーチンに面接12月24日・斐三郎、当分箱館表御用居残り「熔鉱炉並反射炉等相製鉄筒
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