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函館市/函館市地域史料アーカイブ

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函館市史 通説編 第一巻 (旗艦ポーハタン号の入港)

旗艦ポーハタン号の入港 提督ペリーの座乗するポーハタン号と、ミシシッピー号の2艦が入港したのは4月21 / 旗艦ポーハタン号の入港
函館市史 通説編 第二巻 (巨大な艦船)

御用記写」は、ヴァンダリア号・マセドニアン号・サザンプトン号をともに「凡三千石積位」(約300トン)、ポーハタン,帆船でも千石積弁財船の5~13倍強、「火輪船」たるポーハタン号・ミシシッピー号にあっては、17~24倍強,』史料編第3巻)、ヴァンダリア号・マセドニアン号・サザンプトン号は、下田から箱館に僅か5日で到着し、ポーハタン,号・ミシシッピー号にあっては、4日で到着した。,の帆船が箱館に入港した際、松前藩の役人たちは、未だ同船の速力を知ることができなかったが、4月21日、ポーハタン
函館市史 通説編 第二巻 (黒船渡来)

この巨大な「火輪船」こそペリー艦隊の旗艦ポーハタン号とミシシッピー号であった。,3艘が碇泊するや、ただちに応接方藤原主馬・関央・代嶋剛平・蛯子次郎が橋船でポーハタン号に赴き、ペリー付通訳,ポーハタン号 ヴァンダリア号 マセドニアン号 サザンプトン号
函館市史 通説編 第一巻 (勘解由の米艦訪問)

折柄、風は非常に強く吹きはじめ、湾内は大時化となったので、日本人一行は、提督がポーハタン号へ退去した後
恵山町史 (3、尻岸内村の馬)

二つの港が開かれると、早速、アメリカの使節ペリー提督が軍艦ポーハタン号で箱館にやってきました。,ペリーの『日本遠征記』には、ポーハタン号の乗組員が、北海道の火山の調査や植物の採集を行ったと記されているし
函館市史 通説編 第二巻 (幕吏との会談と退帆)

5月6日、ポーハタン号上で安間・平山等とペリーとの会談が行われたが、この時井上富左右と松前藩側の遠藤又左衛門,たされたことや、下田での応接掛との会談の期日が迫っていたこともあって、7日の会談を放棄し、翌5月8日、ポーハタン,号・ミシシッピー号を率いて箱館を去った。
函館市史 通説編 第二巻 (ペリーの再来と幕府の回答)

この時のペリー艦隊は旗艦サスケハナ号をはじめポーハタン号・ミシシッピー号(以上フリゲート艦)、マセドニアン
函館市史 通説編 第二巻 ([目次])

目隠し/海岸の図 『ペルリ提督日本遠征日記』より 海岸にはりめぐらされた板塀の様子がわかる/黒船渡来/ポーハタン,号/ヴァンダリア号/マセドニアン号/サザンプトン号/ミシシッピー号/巨大な艦船/ペリーから知らされた条約
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