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函館市/函館市地域史料アーカイブ

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函館市史 通説編 第一巻 (リコルドの再航)

リコルドの再航 リコルド  一方、ゴロウニンの救出を誓って去ったディアナ号副艦長リコルドは、文化,を連れて再び国後の泊に来たが、国後在勤調役並太田彦助らがこれを見て厳重な陣固めしてこれを迎えたので、リコルド,しかし、リコルドはこれを信ぜず、ほかに信頼に足る日本人を捕え、その真相を確かめるため日本船の往来をうかがっていた / リコルドの再航
函館市史 通説編 第一巻 (嘉兵衛の帰国)

嘉兵衛の帰国 文化10年春、解氷期を待ってディアナ号はカムチャツカを出帆、嘉兵衛、リコルドが国後島に,そこでリコルドは、嘉兵衛配下の水夫2名のみを上陸させ、嘉兵衛を、シベリア総督の弁明書を得るためにオホーツク,しようとしたが、嘉兵衛はこれをしりぞけ、自ら国後島に上陸して幕吏との折衝に当たり、絶えずその経過を艦上のリコルド
函館市史 通説編 第一巻 (嘉兵衛カムチャツカへ)

カムチャツカへ 9月29日ついにカムチャツカへ拉致された嘉兵衛は、翌文化10年春まで、ここに冬営したリコルド,その間、嘉兵衛はロシアの少年オーリカについてロシア語を習い、リコルドとの意思の疎通につとめた。,そしてゴロウニンが捕えられた原因は、前年フォストフの理不尽な暴挙にあることを責め、リコルドはそれに対し
函館市史 通説編 第一巻 (幕府の諭書)

かくてこの諭書は早速国後に送られ嘉兵衛の手によってリコルドに渡された。,リコルドらはゴロウニンらの生存の証拠を得て喜んで同意したので、ただちに福山に急報した。,もちろん、この時も嘉兵衛が彼我の間に立って交渉の進行をはかり、結局リコルドはこれを承諾し、7月14日国後島
恵山町史 ([後松前藩時代の道])

ディアナ号の副長リコルドは、艦長ゴロウニンらを救出するため、本国に帰り日本の漂流民を連れて引き返し、幕府,そのことを確かめるため副長リコルドは、エトロフ場所から漁獲物を積み箱館に帰港中の観世丸を襲い、相当の人物,船中でリコルドは嘉兵衛から、ゴロウニンらの無事を聞き、また、その律義な人柄に傾倒し、この事件の調停者として,ことの成り行きを理解した嘉兵衛と思慮深いリコルドの努力が実り、ロシア側はフボストフらの暴行を陳謝、一時険悪
函館市史 通説編 第一巻 (ディアナ号箱館入港)

リコルドの上陸に先だち、嘉兵衛が官命を帯びてディアナ号を訪問、オホーツク長官の書を受領、9月19日正午,12時、奉行所差し回しの飾船(儀礼艇)で、嘉兵衛が先導し、リコルドは陸岸に向かった。
函館市史 通説編 第一巻 (観世丸の拿捕)

もちろんリコルドらである。,のないことを示して縛を解かせ、求めに応じて露鑑に乗り移り、露兵数十人が銃剣を手にして整列する前を、堂々と進んでリコルド,リコルドも嘉兵衛の態度に敬意を表し、主意を告げたので嘉兵衛もようやく事情がわかり、前に捕えられたロシア,しかし、リコルドは嘉兵衛が捕虜のなかのムールの名をあげてゴロウニンのことに触れなかったため、これをも容易,とあるのは、五郎次がロシアに抑留中、身分を偽って中川良左衛門と称し、千島の有力者を装っていたため、リコルド
函館市史 通説編 第一巻 (釈放の交渉会見)

釈放の交渉会見 かくてリコルドは上陸して会見所に至り、吟味役高橋三平、柑本兵五郎らと接見して、イルクーツク,この時の模様を「艦長リコルドの手記」によって記すと、次の通りである。,リコルド上陸の図 「北夷談」(北海道蔵)    私は一人の下士官に白旗を持って上陸
函館市史 通説編 第一巻 (ゴロウニンの捕縛)

この状況を艦上から見た副艦長リコルドは、ただちに艦を進めて接近してきたので、南部藩の守備兵は砲を発してこれを,迎え撃ち、彼もまた応戦したが及ばずと見て沖へ退き、同月7日リコルドは、後日死を決して必ず諸君を救出するという
函館市史 通説編 第一巻 (イルクーツク民政長官の書簡)

イルクーツク民政長官の書簡 この時リコルドが提出した民政長官の書簡は、非常に長文にわたるものであるが
函館市史 通説編 第一巻 (ゴロウニンの釈放)

ゴロウニンの釈放 以上にして松前奉行は、ロシア側の謝罪を諒とし、文化10年9月26日、リコルドを沖ノ
函館市史 通説編 第一巻 (種痘の先駆)

の番人小頭をしていた文化4年、ロシア人に捕えられてシベリアに拘引された者であるが、たまたま文化9年、リコルド
函館市史 通説編 第一巻 (ディアナ号の箱館出帆)

リコルドもこの点につき、ゴロウニンらの釈放が決定した時の手記にも、「正直に云って、この多幸な場合において
恵山町史 (6、郷土と高田屋嘉兵衛)

同年12月8日、囚われた嘉兵衛、ディアナ号の副長リコルドに事件の発端・真相を話し、ゴロウニンの釈放について,による拉致、異国への連行という異常事態の中でも、動揺する事のない嘉兵衛の沈着した態度に感服した同艦の副長リコルド,カムチャツカ滞在し数か月、少しはロシア語も分るようになった嘉兵衛はリコルドに、「日本がゴロウニンを捕えて,リコルドは嘉兵衛の説に快く同意し、また、準備を整え(国の公文書などの)文化10年5月9日(1813年6
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