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函館市/函館市地域史料アーカイブ

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函館市史 通説編 第二巻 (洋風建築への挑戦)

左端の高い所に君臨しているようなロシア領事館、魅力的な三階建、屋根のとんがりに領事館旗がはためいている,具体的な史料は未詳であるが、箱館における広い意味での洋風建築の第1号は、このロシア領事館と考えられる。,ロシア領事館は安政6年6月には地ならしが終わり、建設工事が開始された。,ロシア領事団一行は、それまで実行寺と高龍寺に別れて居住していたが、翌万延元年春には新館が一部完成したので,ロシア領事館にしろ、病院にしろ、ロシア領事と忠次郎との相対で工事が進められていたが、ロシア領事は職人たちの
函館市史 通説編 第一巻 (外国人による語学教育)

外国人による語学教育 「和魯通言比考」  英語とともにロシア語も必要となり、ロシア領事館についてこれを,箱館へ着任の前年(安政4年)、日露辞典『和魯通言比考』(橘耕斎補)を出版したロシア領事ゴスケウイッチは,ロシア領事館には、またイワン・マホフという館付の司祭がおり、文久元年『ろしやのいろは』という露語入門書
函館市史 通説編 第二巻 (ロシア語通訳の系譜)

ロシア語通訳の系譜 ロシア語通訳の系譜  箱館には、安政5年9月末以来ロシア領事ゴシケヴィッチ,ともあれ、志賀は文久元年春に、ロシア領事館付きの通訳として雇われて箱館にやって来たのである。,なお山梨鶴蔵は、前述のロシアヘの留学生派遣の際、予定の志賀浦太郎がはずされたため、代わりとしてロシア領事
函館市史 通説編 第一巻 (居留外人の増加)

在留したアメリカ貿易事務官ライスのことはすでに述べたところであるが、次いで安政5(1858)年9月、ロシア,領事ゴスケウィッチが、その家族および書記、海軍士官、医師(ゼレンスキー)、宣教師(イワン・マホフ)各1
函館市史 通説編 第一巻 (箱館港則と港湾施設)

箱館港則と港湾施設 そして同6月23日箱館奉行は、ロシア領事、アメリカ貿易事務官と議定し、次の港則を,詰めさせておいたが(案内料は5月までは7ドル、6月以降は5ドルの定め)、万延元年になってライスおよびロシア,領事ゴスケウィッチから、日本の水先案内は役に立たないといって外国人を推薦してきた。
函館市史 通説編 第一巻 (外国文化の吸収)

たとえばロシア領事ゴスケウィッチが写真機を持参して撮影を行い、医師ゼレンスキーもその術をよくしたところから
函館市史 通説編 第一巻 (学術技芸の発達)

って英語の知識をもっていた福士卯之吉(のち成豊)などは、自ら英米人の店舗にあって英語を習い、山東一郎はロシア,領事館員についてロシア語を学び、あるいは栗本匏庵はフランス人宣教師メルメ・デ・カションについて仏語と邦語
函館市史 通説編 第二巻 (「露探」の退去)

フーザベリフ、さらにセミヨノフ商会の支配人デンビー、テリーといった人々であったが(2月18日付同前紙)、ロシア,領事館の日本人書記笠原與七郎も同様の嫌疑で退去させられている(2月14日付同前紙)。  
函館市史 通説編 第一巻 (写真)

郷里に墓参の船中で、外国人の持っていた写真機を、土産用に持参していた熊の皮と交換し、箱館に帰ってからロシア,領事ゴスケウィッチや館付医師ゼレンスキーなどから、現像や焼付けの技術を学び、元治元年新地新町(現船見町
函館市史 通説編 第二巻 (居留外国人と住民の意識)

箱館奉行がロシア領事に「危険なので、町なかでの馬ソリでの通行を禁ずる」との書簡を送った時、ロシア領事から,このロシア領事の感覚はまさに欧米人の思考や態度を象徴しているようである。
函館市史 通説編 第二巻 (函館開港とキリスト教)

安政5(1858)年の日露修好通商条約とその翌年のロシア領事館設置に、近代函館キリスト教史が始まることは,安政6年のロシア領事館と時を同じくして建設されていた聖堂には、この明治4年のニコライの来函を機に、ある
函館市史 通説編 第一巻 (キリスト教)

ニコライ  安政5年、ロシア領事着任の時、これに領事館付きの司祭イワン・マホフが同行し、万延元年
函館市史 通説編 第二巻 (実行寺は再建か廃寺か)

開港後、一時ロシア領事館の開設までの仮止宿所となったりしていた日蓮宗の実行寺は、その大火の直後、廃寺か
函館市史 通説編 第二巻 (ロシア語科の新設)

である樺太の統治にはロシア語に通じることが不可欠であることを痛感し、ロシア語に通じた官吏育成のため、当時ロシア,領事館が開設されていた函館にロシア語の学校を開設しようと、5年2月、次のような伺書を太政官に提出した。
函館市史 通説編 第二巻 (箱館の置かれた環境)

文久3(1863)年にイギリス領事として来箱したヴァイスは、その時にオランダ、プロシア領事を兼任している,このプロシア領事の件をフランス領事ヴーヴが、当時の箱館奉行、小出大和守に確認したところ、「それはヴァイス,加えて箱館には駐在ロシア領事のように、外交使節的任務を帯びている場合もあった。,この内容は同時にロシア領事も承認をし、後に駐在したイギリス領事(兼フランス領事)の承認も得た。
函館市史 通説編 第一巻 (箱館医学所(兼病院))

ところが翌万延元年、ロシア領事が、市民のために病院を新設するといううわさが出たので、医師たちは驚き、すでに
函館市史 通説編 第一巻 (開港前後の観測)

へボンが函館から本国にあてた書簡『ヘボンの箱館だより』の中に、「私は二年間当地に滞在したが、その間、ロシア,領事館に関係のある医師から得た一、二の箱館の気候を語ろう……」として、アルブレヒトの観測をもとにした平均気温
函館市史 通説編 第二巻 (大町築出地における分割問題)

しかしながら、ロシア領事においてもいつ商人が来函するかわからないので貸渡地がないのは不都合である旨のことが
函館市史 通説編 第二巻 (外国人居留地の性格)

この時期に、ロシア領事との間には領事館建設についての交渉が持たれていたが、箱館奉行は願い出の大工町の原野
函館市史 通説編 第二巻 (イギリス領事の報告)

ちなみにこのゲルトナーとは日本側史料にガルトネルとある人物であり、その後プロシア領事となる。
函館市史 通説編 第二巻 (米・露・英の領事)

次にロシア領事についてだが、安政元年12月、下田で日露和親条約が調印され、領事の駐在については、その第
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