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南茅部町史 下巻
(〔昭和の海運〕)
板木 臼尻 鹿部 森行 共益丸 同所行 隔日 午後一二時出帆 ○函館日高線 ○函館
三厩
青森線
函館市史 通説編 第一巻
(江戸交易と東回り航路の発達)
一方、津軽海峡を通過する本道と本州との航路も、従来は主として津軽の
三厩
から福山に渡る一線によっていたが,であったので、寛政11年南部の佐井または大澗から箱館への渡海を開始して、東部の本線となし、西部の福山~
三厩
線
函館市史 通説編 第一巻
(箱館の警備)
なお11月津軽藩番頭山田剛太郎、目付佐野吉郎兵衛以下557人は、幕命によって弘前を発し、
三厩
から箱館に
函館市史 別巻 亀田市編
(ペリーの和親要求)
苦慮した松前藩は、この時蝦夷地視察に向かっていた幕府目付堀織部、勘定吟味役村垣与三郎が
三厩
に到着した報
恵山町史
((4) 海峡を行き来するミズダコ)
10数年前に、
三厩
漁協の方から聞いたこんな話があったとか。
戸井町史
([石崎まで来た巡見使])
巡見使が江戸を出発したのが天明八年五月六日、
三厩
に着いたのが七月十八日、
三厩
から松前に向けて船出したのは,、一週間前の七月十三日に、上宇鉄(かみうてつ)から乗船して翌朝福山に着いているが、巡見使を迎える前の
三厩
附近,「私が松前に渡ろうとして
三厩
に着いたのは七月十一日であるが、近く到着する巡見使を迎える準備に忙がしく、,宿々に入り込んで『ちょっと休ませて下さい』といって休むような宿もないので、宇鉄(うてつ)の浦に行こうと
三厩
,真澄の短かい文を読んで見ても渡海地点
三厩
の騒ぎや津軽藩の巡見使一行に対する心遣いなどが想像される。
恵山町史
([海峡の旬の魚たち])
津軽海峡でも、流れの早い中央部よりは青森側では
三厩
(みんまや)湾、陸奥湾、函館側では木古内湾、函館湾を
函館市史 通説編 第一巻
(幕吏の来箱)
折から、前述したように、目付掘利熙、勘定吟味役村垣範正が、蝦夷地検分のため対岸の
三厩
まで来ていたので、
戸井町史
((参考)北海道と青森県の円空仏)
但し、油川の浄満寺や
三厩
の義経寺等にある円空仏は、渡島前の作仏と思われる。 ,②青森県の円空仏 場所 像の種類 摘要
三厩
村 義経(ぎけい)寺 観音像 背面に朝岳遊楽という雲水,、岩木山に登り、弘前、田舎館、油川、蓬田、平館、今別などの名越派の庵寺に泊りを重ねて仏像を納めながら
三厩
,
三厩
で蝦夷地渡りを思い立ち、ここから松前に渡り、松前から久遠まで行き、太田山の洞窟にこもって数体の仏像
函館市史 銭亀沢編
(釜谷鉄道の価値)
また、木古内、福山間の敷設理由には「…将来本線ニヨリ福山ヨリ本州
三厩
小泊地方トノ海上連絡ノ途ヲ開クニ至,これは対岸、津軽半島の敷設予定線である青森、五所川原線(
三厩
、小泊経由)の「津軽半島ヲ一周シ対岸北海道福山方面
椴法華村史
(木造官船の増強)
本州・蝦夷地間の航路は前松前藩時代には主として
三厩
・松前間の航路がとられていたが、享和三年(一八〇三)
函館市史 通説編 第二巻
(開拓使直営と郵便制度)
開拓使直営と郵便制度 幕末の函館と津軽地方との連絡路は函館・大間と福山・
三厩
の両航路によっていた。
函館市史 銭亀沢編
(イカ漁)
北海道松前郡福島町白符には、昭和初期に対岸の青森県東津軽郡
三厩
村、同県北津軽郡小泊村下前、同村折戸、同県西津軽郡鰺,、『北海道漁業志稿』によるヤマデの考案時期とずれがあるが、青森県の津軽半島の先端部に位置する東津軽郡
三厩
村
南茅部町史 下巻
(渡島の港門)
かつて津軽
三厩
から松前・江差へ、下北佐井から箱館・襟裳・釧路へむかう流れのなかで山陰在とよばれた昆布の
戸井町史
(四 長福寺の円空仏(佐井村))
津軽では
三厩
の義経(ぎけい)寺、鯵(あじ)ケ沢の延寿庵、蓬田(よごみた)阿弥陀川の正法院、油川の浄満寺
恵山町史
(蝦夷地の航路を開く)
〈箱館・佐井航路〉 蝦夷地から奥羽にわたり、陸路、江戸に赴くには西の松前・
三厩
間、東の箱館・佐井間の
南茅部町史 上巻
([官軍反攻])
本月十六日午前十一時より三馬屋発港 賊ヲ欺カンタメ鷲ノ木ニ進撃ノ模様ヲ顕シ、箱館ヨリ恵山岬巡航仕、同夜密カニ
三厩
戸井町史
(二、弁天さんの由来)
函館・大間、福島・
三厩
等にもフェリーボートが就航しているが、戸井、大間間は最短距離で、所要時間は約一時間
恵山町史
([恵山町の鳥相])
また、春秋の渡りの季節には、西は本州の青森県
三厩
村竜飛岬〜北海道松前町白神岬を中心に、東は青森県下北半島
函館市史 別巻 亀田市編
(一 亀田村の郷土史について)
しかし、調査項目は田畑、山林、秣(まぐさ)場、畑作の状況、箱館・江戸・
三厩
などへの道のり、川、橋の状況
函館市史 通説編 第二巻
(幕吏との会談と退帆)
なお、井上がこうした対応策を松前藩役人に指示したのは、自己の立場を考慮してのことであろうが、津軽の
三厩
函館市史 通説編 第一巻
(箱館の町勢)
またここには「車櫂」(くるまがい)といわれる私娼妓がおり、この車櫂というのは南部北郡および津軽
三厩
辺で
戸井町史
(二、汐首観音堂と円空仏)
即ち
三厩
の義経寺再興が寛文七年、下北、田名部の熊谷家に寄偶していたのが寛文八年といういい伝えや記録があり
恵山町史
(3、明治前期の昆布漁について)
ほんこんぶ・もとこんぶ(鹿部・南茅部)、しのりこんぶ(函館)、はばびろこんぶ(室蘭)、みんまやこんぶ(青森県竜飛・
三厩
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