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函館市/函館市地域史料アーカイブ

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函館市史 通説編 第一巻 (蠣崎氏の松前進出)

このような東部アイヌのたびたびの抗争により、次第に和人は繁栄を誇ったこの地帯から駆逐され、蝦夷地和人の中心は上ノ,国、福山(松前)の地に移った。,この間、蠣崎信広は蝦夷地統一への触手を伸ばし始め、上ノ国の天ノ川、石崎川、厚沢部川の豊富な鮭や、石崎川,依然として出羽檜山の安東氏の系譜に連なる、譜代ともいうべき松前の大館の下国氏にあって、外様の蠣崎氏は上ノ,国地方の一館主に過ぎなかった。  
恵山町史 ([渡島半島“みち”のはじめ])

西は上ノ国花沢館から東は下海岸の志苔・志濃里館までに、いわゆる道南12の館を築き経済活動を行うが、下海岸,の石崎に端を発したアイヌの蜂起・コシャマインの乱により、花沢館(上ノ国町)と茂別館(上磯町茂辺地)を除,これに対して和人豪族側は、上ノ国花沢館の客将武田信廣を総指揮官に、態勢を立て直し反撃に移り、長祿元年(,茂別館の下國家政はその功績を称え『中野路』を辿り上ノ国へと赴く。,武田信廣は、その後上ノ国蠣崎家を継ぎ事実上諸豪族の指導者の地位に着き、第2代光廣は本拠地を大館・松前に
南茅部町史 下巻 (アイヌ神話)

① 天の神からもらった火  オキクルミが、人間(アイヌ)のために火をもらいに天上の国造神(くにつかみ,天上の国造神は、火と灰を摑んでオキクルミに投げおろしてくれた。  ,天上の国造神が投げた火は、駒ケ岳と恵山に落ちて燃え、人間は火を使えるようになった。                          
椴法華村史 (康正二年、長禄元年の乱)

これに対し和人側は、わずかに残された、下国家政の守備する下国の館(茂辺地)と蠣崎季繁の守備する花沢館(上の,国)が奮戦し、辛うじて反撃に転じ、コシャマイン父子と多数のアイヌ人を殺害した。,この時アイヌ人を鎮圧した武田信広は、蠣崎季繁の嗣子となり、上の国に州崎の館を構築し、次第に諸館の館主達
恵山町史 ([神道国教策])

統一支配するとともに、神仏を分離し、キリスト教を弾圧して、天皇の神格化と直結する神社信仰・神道を事実上の,国教として、国民の思想的・宗教的統一をはかった。
函館市史 銭亀沢編 (アイヌの存在形態)

銭亀沢は中世末期に形成されていた上ノ国から知内間の初期和人地が、寛文期(一六六一~一六七三年)頃までに,寛文九(一六六九)年の段階では、「上ノ国-知内間の初期和人地内では、両端におけるごく少数の存在を除き、,もはやアイヌの居住はみられなくなっているものの、上ノ国-関内間、及び知内-石崎・ヤケナイ間の新たな和人地内
南茅部町史 上巻 (管内の町村の起源(資料))

次に上磯から上ノ国、そして銭亀沢(志海苔)に至る海岸諸地域へ渡海した下国安東盛季主従らの一五世紀の館を,松前町   永正一一年(一五一四) 武田二世光広、上の国より福山に築城。   
函館市史 別巻 亀田市編 (短角牛貸付計画)

管理状況などにつき事前調査検討する必要から、「家畜貸付審議会」委員の代表によって、先進地である檜山郡上の,国村の飼育実態を視察したが、結果的に本村においても将来有望であるとの結論を得たので、近く当歳牛五頭を購入
函館市史 通説編 第一巻 (安東政季らの渡海)

大館(松前町西館)には、同族下国山城守定季を置き、相原周防守政胤をしてこれを助けさせ、武田若狭守信広を上ノ,国に置いて、花沢館の蠣崎修理太夫季繁とともにこの地を守らせた。,およべ)館(松前町東山)、禰保田(ねぼた)館(松前町館浜)、原口館(松前町原口)、比石(ひいし)館(上ノ,国町石崎)等が点在して、いずれも安東氏に隷(れい)属していた。
函館市史 通説編 第一巻 (古銭と流通の変化)

では物々交換が主であったが、本土商人との間では通貨が使われていたことは、あえて志海苔の例だけではなく、上ノ,国花沢館・洲崎館の付近にも多く銭貨が出土していることでも察しられる。
函館市史 通説編 第一巻 (講和と夷役)

する宝器を与えて歓心を買い、天文20年東西のアイヌ酋長と講和を結び、勢田内(瀬棚)の酋長ハシタインを上ノ,国において西部の酋長とし、また、志利内(知内)酋長チコモタインをもって東部の酋長として、「夷狄の商舶往還
戸井町史 ([戸井町の文化財])

に渡来したのは「戸井町の沿革」で述べたように、松前家の始祖蠣崎信広の渡島以前であるので、和人の足跡は上ノ,国、松前、茂辺地などと共に最も古い地域である。  
函館市史 銭亀沢編 (タトエ)

道南の銭亀沢地区、戸井町、江差町、福島町、上ノ国町でもやはりタトエといい、津軽・下北地方のものとほとんど,松前の江良でも「ヨッコ取る」といい、上ノ国町では「イワシ取った」といって、ニシンやイワシ漁の盛んであった
戸井町史 (二、和人の館)

③嘉吉三年(一四四三)   小山四郎隆政が一族の者八人を引連れて、南部の野辺地から上の国に渡って館を,④嘉吉三年(一四四三)   蠣崎修理大夫季繁が渡島し、上の国に館を築いたという。,北部王家(きたべおうけ)義純を殺したため、根城(ねじょう)南部 政経に攻められ大畑から蝦夷地に逃れ、上の,国に拠った。
戸井町史 (三、道南の館主と政季、信広の渡島(新羅之記録抜萃))

河野加賀右衛門尉越智政通を副として置かれ、松前は下の国山城守定季が預(あずか)り、相原周防守政胤を副とせられ、上の,国は蠣崎武田若狭守信広が預り、政季の聟(むこ)蠣崎修理太夫季繁を副として置かれ、それぞれ夷賊の来襲を守護,然れども下の国の守護茂別八郎式部大輔家政、上の国の花沢の館主蠣崎修理大夫季繁固く城を守り居れり」と述べている
恵山町史 ([陸路の充実])

山道(幌泉~猿留(さるる))等の道路を開削、文化年間(1804~1817年)には仙鳳趾~厚岸、木古内~上ノ,国、さらに西蝦夷地の岩内~余市、その他、数か所の道が開削された。
函館市史 通説編 第一巻 (福山拘禁)

名(ムール、アレキセイを除く)が脱獄を企て、6晩海岸、山中をさまよった末、ついに4月4日木ノ子村(現上ノ,国町)で再び描えられた。
函館市史 通説編 第一巻 (アイヌの抗争)

または天文5(1536)年西部の酋長多離困那(タリコナ)の来襲等、いずれも蠣崎氏の2大根拠地、大館と上ノ,国を対象として襲っているが、そのたびごとに蠣崎氏は権謀術数をめぐらして和睦し、ついには酒宴を用いて泥酔
函館市史 別巻 亀田市編 (蝦夷蜂起)

当時道南の海岸線にあった十二館のうち、十館を次々に陥れ、和人側はかろうじて茂別(現上磯町字茂辺地)と花沢(上ノ,国町)の二館を残すのみとなったが、この時花沢館にいた武田信広がようやくコシャマイン父子を射殺し、和人地
函館市史 銭亀沢編 (〈昭和四十八年九月二十三、二十四日の大雨〉)

いずれも気象庁の雨量計)に達し、北海道電力の磯谷観測所(南茅部町)では三九二ミリ、国鉄江差線湯の里駅(上ノ,国町)では三六五ミリを記録した。
函館市史 通説編 第二巻 (新政府軍攻撃開始)

さらに江差も軍艦の砲撃を受け、脱走軍は石崎村(桧山郡上ノ国町)まで退いた。
函館市史 通説編 第一巻 (蠣崎氏の蝦夷地掌握)

かくて翌永正11年3月、光広はその子良広(のち義広)とともに、小船180隻を率いて上ノ国から松前大館に
恵山町史 ((3)神社神道の国教化)

(3)神社神道の国教化 仏教と切支丹の迫害の狙いは神社神道の事実上の国教化にあった。
函館市史 銭亀沢編 (志苔館と渡党)

二つ目は、上ノ国町夷王山から発見された一四〇余基にも及ぶ和人墳墓群で、一四世紀中葉から一五世紀頃のものと,考えられ、この墳墓から火葬と土葬の人骨が、硯・古銭・漆器・木盃などと共に発掘された(上ノ国町教育委員会,『史跡上ノ国勝山館跡』Ⅱ・Ⅲ)。
函館市史 銭亀沢編 (安藤康季の渡道と「道南の十二館」)

松前町字館浜 近藤四郎右衛門尉季常 原口館 松前町字原口 岡部六郎左衛門尉季澄 比石(ひいし)館 上ノ,国町字石崎 厚谷左近将監重政 花沢館 上ノ国町字勝山 蠣崎修理太夫季繁 図1・3・3 道南十二館,また、中世の和人地は天文二十(一五五一)年の「夷狄之商船往還之法度」によって、西は上ノ国、東は知内を限
函館市史 別巻 亀田市編 (松前藩の蝦夷地統一と番所の設置)

その後永正十一(一五一四)年武田光広は上の国から大館(松前)にその本拠地を移し、檜山(秋田)安東氏の臣下
函館市史 銭亀沢編 (伝承様式)

銭亀沢地区の事例とかつて調査した隣町の戸井町瀬田来や道南の海沿の地域(八雲町・乙部町・奥尻町・江差町・上ノ,国町・福島町など)と比較してみるとほとんど同じである。
戸井町史 ((参考)北海道と青森県の円空仏)

上の国村北村 地蔵庵 観音像 赤や緑の着物を着せられ、頭布やよだれ掛を着けている。,吉野教会のものと同型、四三センチ 七飯町大中山 富原喜久夫宅 観音像 上の国村木の子の光明寺のものと同型,上の国のものと同型。,久遠まで行き、太田山の洞窟にこもって数体の仏像を刻んでここに納め、寛文六年、久遠を出発して乙部、江差、上の,国、石崎、江良町などに泊りを重ねて松前に戻り、ここで有珠登山を志し、荒谷、礼髭(れひげ)、吉岡、福島、
函館市史 別巻 亀田市編 (亀田)

当時は、上の国百四、五〇軒、福山一二〇軒程、熊石八〇軒で、亀田近くでは「箱館 澗有、古城有、から家あり,松前、上の国などに比較して平地や広大な丘陵があり、北海道の中でも温暖な気候下にあったからでもあろう。
函館市史 銭亀沢編 (光広の大館移住)

機敏な光広は、この上ノ国から大館への移住を秋田檜山の安藤氏に、「此旨を両度檜山に注進す」(同前)と二度
椴法華村史 (蝦夷地の主要道路)

また上ノ国と木古内を結ぶ通称木古内越とよばれる数少ない山道が存在していたが、これも極めて難所の多い道であった
南茅部町史 上巻 ([引用・参考文献])

            松前町教育委員会 倉谷 泰賢・小笠原忠久       一九七二年 大安在B遺跡 北海道桧山郡上ノ,国町大安在B遺跡調査報告書 上ノ国町教育委員会 児玉作左衛門他       一九七二年 サイベ沢遺跡
函館市史 通説編 第一巻 (コシャマインの乱)

めとし、更に破竹の勢いをもって道南に点在する諸館をことごとく落とし、残るはわずかに下国家政の茂別館と、上ノ,国の蠣崎季繁の花沢館のみとなり、茂別館も重囲の中にあって弧城を守る有様であった。
函館市史 別巻 亀田市編 (亀田港の発展)

康正二(一四五六)年から長禄元(一四五七)年に至る蝦夷の大戦の後、和人たちはアイヌ人の攻撃を受けにくい上ノ,国方面を中心とする地域に居住していたが、次第にその勢力を盛りかえし、江戸時代の初めころには亀田の地にも
函館市史 別巻 亀田市編 (荒廃から保護へ)

林業は、主としてヒバ(別名アスナロ)を中心にしたもので、取締りのための役所や法令も主産地である江差・上ノ,国方面を重点としていた。
椴法華村史 (陸路の充実)

-幌泉、幌泉-猿留(さるる)等の道路が開かれ、更に文化年間(一八〇四~一八)仙鳳趾-厚岸間、木古内-上ノ,国間、西蝦夷地の岩内-余市間その他数か所が開削された。
南茅部町史 下巻 (上磯式 奴振り)

上ノ国 石崎奴 石崎八幡神社で行われている道中振りの奴。        
恵山町史 (1、異国船の来航)

・一八四八年(嘉永元年)五月、アメリカの捕鯨船ラコダから短艇で脱走の乗組員一五人、小砂子村(現上ノ国町字小砂子
恵山町史 ((3)亀ケ岡式土器文化)

精製土器と、亀ケ岡式土器にはみられない縄文を主体とし口縁部に数条の爪形文をめぐらす粗製土器で、その後に上ノ,国町竹内屋敷遺跡から出土した、羊歯状文や爪形文が施文された上ノ国式土器が続く。  
函館市史 別巻 亀田市編 (段丘形成と人類)

長万部段丘、日吉町段丘、熊石町中位段丘と知内、上ノ国、江差の海成段丘で、14C年代測定によると三万三、
恵山町史 (2、国定教科書の改定)

国民科は、国家精神を養うことが主とした目的で、1,2年は修身を重視、4年以上の国史は天皇史観の強化(例
函館市史 通説編 第二巻 (住民の行動規制の強化)

に往来することを禁止し(但し、親病気などの特別な事情がある者へは鑑札を与えて特別に許可)、知内村及び上ノ,国村-木古内村間の峠番所他で領民の往来を厳しくチェックすること、また蝦夷地各場所行の廻船は対象外とするが
恵山町史 ([地理的位置])

恵山町域図  本町一帯の風土的特性は、まず、地理的に亀田半島最南端に位置していることから、松前半島の上ノ,国町・松前町・福島町と同様、本州東北地方に類似の温和な気候に支配されている。
恵山町史 ([蝦夷地の馬])

・享保4年(1719年)3月の松前藩の記録には『江戸幕府に上ノ国産の馬、二頭献上』とあり、ドサンコの増殖
函館市史 銭亀沢編 (十三仏(十三仏和讃・十三仏様))

譜例4は調査地域外の上ノ国町の伝承であるが、参考として示した。
戸井町史 ([蝦夷地と馬])

享保四年(一七一九)三月、松前藩が江戸幕府に、上の国産の馬を二頭献上したという記録のあるところから、ドサンコ
南茅部町史 上巻 (中期)

ノダップⅡ式土器文化の勢力範囲は広く、渡島半島から東北地方北部までを含むものであり、その土器の初源形態は、上ノ,国町大安在遺跡にもとめることができる(倉谷、小笠原・一九七二)。  
南茅部町史 上巻 (町村制度の沿革)

               八雲村  山越郡 八雲村、山越内村                上ノ,国村                乙部村                熊石村                
恵山町史 (鉱山労務者の実態)

、秋田・山形の樵夫、薪材や用材の運搬夫は、道産馬・南部馬を扱う函館近郊の亀尾・蛾眉野・銭亀沢や江差・上ノ,国・厚沢部など檜山からの入稼等のように。  
戸井町史 (二、汐首観音堂と円空仏)

富原家のものは上の国村木の子、光明寺のものと同型である。
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