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函館市史 通説編 第一巻
(箱館付近の上知)
ならびにその付近5里の地域を上知し、6月30日には箱館に箱館奉行を置き、勘定吟味役竹内清太郎保徳をこれに補し、
下野守
函館市史 通説編 第一巻
(奉行の更迭異動)
万延元(1860)年堀織部正に代って、勝田充万が奉行に補され伊賀守に任じ、文久元(1861)年には竹内
下野守
南茅部町史 下巻
(〔川汲山銀銅山〕)
安政三丙辰年(一八五六)正月一三日 箱館在六ヶ場所の金銀銅鉄鉛山其の他諸産物類の見分のため、竹内
下野守
函館市史 通説編 第二巻
(箱館奉行の再置)
このことは、左記の安政元年閏7月15日付箱館奉行竹内
下野守
宛老中下知状(『幕外』7-補遺4)の内容からも,嘉永七年閏七月十五日 (老中六名連判) 竹内
下野守
殿,#160; 称呼(官名) 前職 補任年月日 転免年月日 後.職 備考 1 竹内(清太郎)保徳
下野守
函館市史 通説編 第一巻
(堀・村垣の復命)
堀・村垣の復命 竹内
下野守
保徳 その大要を挙げれば次の通りである。
南茅部町史 下巻
(郷土神社棟札編年一覧)
天下泰平 御本殿 一宇建立 神主藤原延清 願主 ヲタハマ 国家安全 箱館奉行 竹内
下野守
函館市史 通説編 第一巻
(箱館医学所(兼病院))
柏倉忠粛の案で、講堂の床の間中央に、大乙貴(おおなむち)、少彦名(すくなひこな)らの薬神に祷の字(竹内
下野守
筆
恵山町史
((2)箱館港防備の意見上申)
(2)箱館港防備の意見上申 安政2年(1855年)5月13日、箱館奉行となった竹内
下野守
保徳と堀織部守利煕
函館市史 通説編 第二巻
(外国人居留地の性格)
両奉行は、はじめ地蔵町に1画を設け居留地と成すことを考えたが、竹内
下野守
が地蔵町は「箱館咽喉の地」との
南茅部町史 下巻
(〔資料〕)
不被下候事 一去ル辰正月十三日箱館領六ヶ場所金銀銅鉄鉛山其外諸産物類為御見分
下野守
殿並組
恵山町史
([五稜郭と古武井熔鉱炉])
幕府は、さらに、竹内
下野守
・堀織部正(利煕)両箱館奉行から提出された、箱館港防御のための軍事施設を速やかに
恵山町史
(②古武井熔鉱炉に関する研究 幕末期蝦夷地開拓と外国技術)
廻し 六月十七日 一、箱館奉行差上候反射炉雛形、先達而御下ケ、右返上ニ不及候哉、弥十郎承合候処、
下野守
,へ問合、御下ケ切ニ而宜旨申聞候間、鋳立場に御預り之積り、平作に談し置 六月廿三日 一、竹内
下野守
,以返上蘭名ホーゲオーヘン取建候儀申上候書付 書面申上候趣御聞置被成候旨被仰渡奉承知候 竹内
下野守
恵山町史
(6、蝦夷日誌に見る郷土のすがた)
から江戸詰めとなっていた奉行の羽太正養は、訴えを聞くと一部始終を調査させ、4月江戸へ帰ると即、老中青山
下野守
忠裕
恵山町史
(①松前地古武井熔鉱炉の研究並びに考証年表)
顧みれば、安政元年(1854)12月、竹内
下野守
、堀織部正は「箱館表御台場其外見之趣台意取調奉伺候書付,候旨申上海防掛リ廻シ 6月17日・箱館奉行差上候反射炉雛形、先達而御下ケ、右直下ニ不及候哉、弥十郎承合候処、
下野守
,場所所之内金銀山鉄砂其外産物出所稼方等為見分罷超候趣申上候書付市立函館図書館蔵) 3月・堀奉行、箱館在勤となる 6月23日・竹内
下野守
恵山町史
(銅・鉛・亜鉛・硫化鉄・アンチモニー)
1969) 恵山地方の砂鉄については、古くから知られ江戸末期の安政2年(1855年)に、箱館奉行竹内
下野守
戸井町史
([松浦武四郎の『蝦夷日記』(嘉永三年)])
一家の窮乏の有様をくわしく書き記し、この年羽太が任満ちて江戸へ帰ってから、即ち文化二年六月二十九日に、
下野守
忠裕
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