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函館市/函館市地域史料アーカイブ

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函館市史 通説編 第一巻 (箱館支店開設)

くようになったのは寛政10年で、呉服太物類、荒物などを売捌き、蝦夷地の産物を買入れ、手船5艘をもって兵庫、大坂、下関
函館市史 通説編 第一巻 (会所の設置地)

3年試みようという指示を与えて発足したが、会所は、箱館、松前のほか江戸、大坂、京都、兵庫、堺、敦賀、下関
函館市史 通説編 第一巻 (運漕業を営む)

年24歳の時船頭となり、居を兵庫西出町に構え、弟嘉蔵および金兵衛、嘉四郎とともに住み、主として長崎、下関
椴法華村史 (明治二十八年)

(下関条約)動員兵力十五万人、内一万七千人の戦死者を出して日本はようやく勝利を得る。  ,『下関条約』の内容は、   ・朝鮮の独立を清が認めること。   
南茅部町史 上巻 (昆布市場視察)

昆布市場視察 昭和七年六月、尾札部漁業組合書記平田清太郎が、昆布の販路状況を視察のため東京から京都、大阪、下関,「上等品は試食したることなきが如し」 下関市 有岡昆布問屋         下海岸・利尻・青森産のものを,門司市 小見山昆布問屋 下関市 大阪屋門司支店 博多市            「とろろ・おぼろ・
函館市史 通説編 第一巻 (近江商人の排除)

次いで兵庫、下関、酒田、青森、鍬ヶ崎、岩城、平潟、浦賀、下田等にも会所を置いた。
函館市史 通説編 第二巻 (日銀函館出張店の開業)

金利ノ平衡ヲ得セシムル」(『日本銀行沿革史』第1輯第1巻)ため、長崎・函館・新潟・神戸・横浜・赤間関(下関
函館市史 銭亀沢編 (鶴野地区の本家と分家)

あまり親戚間に上下関係はなかったようだ。マキという言葉も使われていない(高橋 豊談)。
函館市史 銭亀沢編 (宗教および社会的関係としての同族)

かつては上下関係によって席順も決まっていた。
椴法華村史 (国内航路と箱館)

この港と右のような取引が行はれる主なる地は松前の南に横たはる佐渡、江戸・越後・長崎又は下關及び大阪・尾張等
恵山町史 (沿革)

当時の需要先は主に幕府や諸藩で大和船の船長は、大阪・新潟・敦賀・下関等へ運搬し売却していたという。
函館市史 通説編 第一巻 (近江商人)

その結果、松前交易の性格も、彼らの交易方法に大きく左右され、一部には北海道~大坂・下関交易の発展もあったが
恵山町史 ([昆布の道])

昆布の道は「北廻り」と呼ばれ17世紀(1670年頃)、河村瑞賢により開かれた「西廻り・大阪−瀬戸内−下関
函館市史 通説編 第一巻 (俵物指定問屋)

を命じられたが、彼らは松前の俵物を長崎へ直接送るほか、少しでも有利な所で取引を行うため、敦賀、大坂、下関
函館市史 通説編 第二巻 (郵便蒸気船会社と三菱商会)

こうした意図のもと8年1月に三菱は横浜・神戸・下関・長崎・上海の定期航路を開設した。
椴法華村史 (北前船の航行)

西廻り航路は一六七二年ごろ河村瑞賢によって開かれ、大阪-瀬戸内海-下関-北陸-奥羽に至る航路であり、東廻
恵山町史 ([盛況を極める海運業])

領土である国後・択捉島、サハリン沿岸、本州方面では対岸の津軽下北、遠距離では日本海西廻りの新潟・敦賀・下関
函館市史 通説編 第二巻 (設置の理由)

ついでこの会所を江戸、大阪、兵庫、下関、敦賀等に置いて、蝦夷地より廻送する荷物は会所の周旋を以て売却し
函館市史 通説編 第二巻 (販路の拡大)

10年代末では販路も関東市場の東京、横浜を始め横須賀、浦賀、そして名古屋、京都、大阪、神戸、下関と全国
函館市史 通説編 第二巻 (巨大な艦船)

当時、箱館-江戸間の太平洋航路(東廻り航路)は、箱館-敦賀間、あるいは箱館-下関-大坂間の日本海・瀬戸内航路
函館市史 通説編 第二巻 (日本郵船の創業と命令航路の開始)

下関、境、敦賀、伏木、直江津、新潟、酒田、土崎、函館に寄港。時には寿都、江差に寄港した。
函館市史 通説編 第二巻 (移出入品の内容)

干鱈は東京、横浜、陸奥辺や大阪、下関などへ仕向けられるもので、近年になって盛んになった移出品であり、鯑
函館市史 通説編 第二巻 (販売市場と経営収支)

余は東京、仙台、塩釜、石巻、酒田、秋田、直江津、敦賀、伏木等とす、近年汽車と海運の便開けてより大阪、下関又
函館市史 通説編 第二巻 (北海道関係航路の重視と道庁補助航路)

き 小樽*4 同洋食付き 能代・土崎 酒田 新潟・佐渡 直江津 七尾 敦賀 境 下関
函館市史 通説編 第二巻 (同行の営業状況)

三井銀行本分支店が33店で、そのうち荷為換取扱を行なっているのは、東京・大阪・横浜・神戸・名古屋・半田・下関
南茅部町史 上巻 (松前昆布)

寛永年間(一六二四)、日本海から下関・瀬戸内海を経る北回り航路が開かれ、蝦夷地の産物が大坂に送られるようになる
函館市史 通説編 第二巻 (民営の青函航路)

6年1月青森県の用達であり、長州馬関(下関)出身の小田藤吉から次のような願書が提出された。
函館市史 通説編 第二巻 (「日本大廻り」航路の成立)

こうして9年8月には大阪・下関・北陸諸港・函館の日本海航路の新航路が開設され、岩崎弥太郎の念願であった
恵山町史 (溶岩ドームおよび溶岩流)

いずれもその上下関係と山体との関係は不明である。
函館市史 通説編 第二巻 (旧制度の改廃と開拓使の流通政策)

東京、大阪、兵庫、横浜、長崎、新潟、那珂湊、下関、撫養など全国の主要港湾に設けられ、全国的に北海産物の
函館市史 通説編 第二巻 (第百四十九国立銀行の設立)

ところが再び東京を本拠として、大阪、馬関(下関の別称)等に分店を設けて開業しようとしたが、そこまでに至
恵山町史 (歴代の上席書記・助役)

昭和12年10月11日~同13年6月9日)  町村行政のベテラン高谷の後を継いだ菊池文五郎は、岩手県下関伊郡宮古町
函館市史 通説編 第二巻 (産物会所の設置)

下関 文久年間 藤田屋彦左衛門 新潟 同上 渋木市十郎 小川皆五郎 小松屋喜平  (原注)
恵山町史 (6、郷土と高田屋嘉兵衛)

1790年(寛政 2)・兵庫の親戚、船頭堺屋喜兵衛を頼り、下関まわりの船の船乗りとなる。,1792年(寛政 4)・若干24歳で船頭に昇進し、兵庫の西出町に所帯を持ち、店を開き、下関、,同7年、和泉屋伊兵衛の北前船の沖船頭となって、兵庫から下関を経て出羽の酒田に廻船し、同国、庄内で和船技術
戸井町史 ([昆布漁])

一、亀田、箱館    昆布を積むために、大阪船や下関船などが毎年八艘づつ来て、大阪や長崎へ積んでいく
恵山町史 (4、江戸時代の昆布漁)

その頃箱館は昆布の集散地で、諸国の船はその積出に集まり殊に大阪、下関から差し向けたものは八百石積の大船
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