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函館市/函館市地域史料アーカイブ

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函館市史 銭亀沢編 (コシャマインの戦い)

なかころ)内海の宇須岸(ウスケシ)夷賊に攻め破られし事、志濃里(シノリ)の鍛冶屋村に家数百有り、康正二年春乙孩,(オツカイ)来て鍛冶に劘刀(マキリ)を打たしめし処、乙孩と鍛冶と劘刀の善悪価を論じて、鍛冶劘刀を取り乙孩,その発端が康正二年、志海苔の鍛冶屋村を舞台にして起こった鍛冶職人と乙孩(オツカイ)(アイヌ語で少年・青年,しかし志海苔に端を発したアイヌと移住和人との衝突は、その乙孩と鍛冶職人との対立をはるかに越え、民族戦争,一般には、「乙孩と鍛冶とが劘刀の善悪価を論じて」に注目し、アイヌと和人との商取引き上の問題、さらにこれを
函館市史 銭亀沢編 (志海苔の鉄)

『新羅之記録』が伝えるように、その当時、「志濃里の鍛冶屋村に家数百」もあり、その鍛冶屋村にアイヌの乙孩,劘刀の「善悪」と価格について乙孩と鍛冶とが対立したということは、アイヌの乙孩が鉄に対して一定の知識・評価能力,北方交易』)    鉄をめぐる問題は、支配と被支配のまさに「政治」問題の大きな分岐点であるとするなら、乙孩,推測をたくましくするなら、乙孩は先祖が擦文時代に修得していた伝説の鍛冶技術を拠りどころにして、和人「渡党
函館市史 通説編 第一巻 (コシャマインの乱)

   志濃里の鍛冶屋村に家数百有り、康正二年春、乙孩(おっかい、アイヌの男)来て、鍛冶に,劘刀(まきり)を打たしめし処、乙孩と鍛冶と劘刀の善悪、価を論じて、鍛冶劘刀を取り乙孩を突き殺す。
椴法華村史 (康正二年、長禄元年の乱)

康正二年、長禄元年の乱 『新羅之記録』によれば、康正二年(一四五六)アイヌ人乙孩(オツカイ)は、当時志及利鍛冶屋村,靡刀(小刀(マキリ))を注文したが、完成した靡力の出来具合をめぐって言い争いとなり、鍛冶屋は、ついに乙孩
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