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函館市/函館市地域史料アーカイブ

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函館市史 銭亀沢編 (大字銭亀沢村)

函館市史 銭亀沢編 / 大字銭亀沢村 凡ソ五百年前石崎村ノ移住者中分離シテ一部落ヲナシ、現今湯川村大字亀尾村ヲ包有シテ、明治 / 大字銭亀沢村
函館市史 銭亀沢編 (銭亀沢村)

函館市史 銭亀沢編 / 銭亀沢村 銭亀沢村に宅地を持つものは一〇六戸である。,字本村(九三筆)、古川尻(四七筆)、湊(二七筆)、埜広場(六筆)、および隣村の亀尾村字川原続(一筆)、,銭亀沢村の耕地には一等から七等までの等級がつけられている。,耕地の場合、宅地とは違って古くから開けていた字本村の等級が高いわけではなく、等級一等とされるのは隣村の亀尾村内,銭亀沢村の昆布場の割り渡しは明和三(一七六六)年に始まる。 / 銭亀沢村
函館市史 別巻 亀田市編 (亀田警察分署の改革と所轄地域)

函館市史 別巻 亀田市編 / 亀田郡役所の所在地となった七飯村に警察署が移されることになり、従来函館警察署亀田分署として存在していたものが,七飯警察署亀田分署と改称された。,このため亀田分署長は亀田村戸長が兼務することになり、このほかにも郡書記と警部補が併任され、巡査も行政事務,『明治二十五年北海道亀田上磯茅部山越郡統計概表』にはその所轄区域が亀田 鍛冶 神山 赤川 桔梗 石川 ,下湯の川 上湯の川 亀尾 根崎 志苔 銭亀沢 石崎の十三か村と記されている。   / 亀田警察分署の改革と所轄地域
函館市史 別巻 亀田市編 (亀田巡査派出所の設置)

函館市史 別巻 亀田市編 / 基づき亀田村総代と不動産所有者総代は、明治十五年八月十八日次のように亀田村巡査派出所設置願いを函館県令,として設立を認められ、亀田郡一円を管轄することになったのである。  ,  位  置  渡島国亀田郡亀田村   距  離  県 庁 一里五丁三十間         警察署, 二十五丁三十間   管轄地名  渡島国亀田郡 村二十九     亀田村 上湯川村 下湯川村 根崎村, 志苔村 銭亀沢村 石崎村 小安村 戸井村 尻岸内村 椴法華村 亀尾村 鍛冶村 神山村 赤川村 石川村 / 亀田巡査派出所の設置
函館市史 別巻 亀田市編 (亀田町農協と鍛神農協合併)

函館市史 別巻 亀田市編 / 亀田町農協と鍛神農協合併 亀田町農業協同組合と鍛神農業協同組合(両組合とも昭和二十三年設立)との合併問題,これによって、町長、町議会議長、農業委員会会長が世話役となり、七月二十五日亀田町農協、鍛神農協、開拓農協,この基本線に基づき、亀田町農協と鍛神農協が正式に合併を決議し、「亀田町農業協同組合」として一本化されたのは,亀田町農業協同組合役員   組合長理事 川井藤五郎   理事 横山  巌  土井 勝雄  佐々木 ,小山内己之助  伊藤保信   開拓農業協同組合役員   組合長理事 八木 豊雄   理事 松尾  / 亀田町農協と鍛神農協合併
函館市史 銭亀沢編 (小熊幸一郎の密漁船と銭亀沢の漁夫)

函館市史 銭亀沢編 / …渡島国亀田郡銭亀沢村字古川尻松田市蔵ナル者漁夫数十名ヲ引率シ本年(明治三十七)四月十二日松前郡吉岡ニ,差出人は、小熊の船で出漁した同村の松田亀太郎であった。,   ①亀田郡銭亀沢村字古川尻    松田市蔵(慶応元年八月生)  ②同    松田作蔵,(慶応三年八月生)  ③同    松田亀太郎(明治八年三月生)  ④同郡同村亀尾村字野広場    ,引率された漁夫がみんな銭亀沢村の人だったのかどうかはわからない。 / 小熊幸一郎の密漁船と銭亀沢の漁夫
函館市史 通説編 第一巻 (函館の亀ヶ岡文化)

函館の亀ヶ岡文化 三吉神社遺跡の土器(市立函館博物館蔵)  青森県で栄えた亀ヶ岡文化は北海道にも,亀ヶ岡式土器が北においては夕張に発見された例もあるが、道東北では亀ヶ岡とは異なる文化があった。,函館で亀ヶ岡式の土器が出土したのは住吉、函館公園付近、榎本、高丘、亀尾の各町である。,函館の亀ヶ岡文化の代表的なものは亀尾の女名沢遺跡で、伊藤昌吉が資料を収集し、大部分が市立函館博物館に収蔵,亀尾の女名沢遺跡が有名になったのは『北海道原始文化聚英』-昭和8年-、『新撰北海道史』第2巻通説1-昭和 / 函館の亀ヶ岡文化
椴法華村史 (亀田郡編入運動(二))

ノ適否ヲ以テ又々御組替相成度    東方 茅部郡ノ内尾札部村支古部ハ亀田郡エ組入    西方 亀田郡,ハ一躰ヱサンノ山脉ヲ以テ亀田茅部旧境字鍵〓ヶ峠エ系境ヲ引き亀田郡ト連山ヲ隔シ當郡沿海ノ際タ村落幅員無之地形,ト雖捗難ク依之處考合仕候処方今共武政ノ御旨意モ有之御太事ノ塲合ニ奉シ郡部ノ地形ヲ取捨シ専ラ便否ヲ計リ尾札部村支古部,                         同   中村彦四郎                       同  尾札部村惣代,                         戸長  相馬權太郎                         同尾札部村 / 亀田郡編入運動(二)
椴法華村史 (亀田番所の設置)

亀田番所の設置 亀田に番所が開設された正確な年代は詳かではないが、慶長年間(一五九六-一六一五)からといわれ,、その職務とするところは、蝦夷地の出入者の検査と出入船の検査・徴税が主なもので、その役人には亀田土着の,その後、松前藩の行政体制の確立、漁業の発達、出入船の増加などにより、亀田番所は松前から直接派遣された亀田奉行,が支配するようになり、(春から秋まで滞在し、あとは代官がこれに代わる)その職務内容も木古内以東亀田に至,六ヵ場所というのは、小安から野田追に至る沿岸を六つに分けた呼び名で、小安・戸井・尻岸内・尾札部・茅部・ / 亀田番所の設置
南茅部町史 下巻 (〔亀田八幡宮社記〕)

〔亀田八幡宮社記〕 亀田八幡宮から奉行所に差し出した文政五年(一八二二)の社記によれば、戸井村から郷土,尾札部領 椴法花村鎮守  正一位  稲荷大明神 壹社 拝殿 九尺四方           本社内御堂,尾札部鎮守  正一位   稲荷大明神 壹社 拝殿 三間四間          木五尺鳥居 壹宇,尾札部領 川汲鎮守  稲荷大明神 壹社         拝殿 三間四間         本社内御堂,以上           亀田神主   文政五年午三月     藤山主膳  御役所 / 〔亀田八幡宮社記〕
南茅部町史 下巻 (尾札部村船入澗)

尾札部村船入澗 尾札部村船入澗の築設は第二期拓殖計画外として、政府の時局匡救事業施設となり、昭和七、,、〇一六坪         被覆面積                      三、五五二坪  尾札部村船入澗,昭和十二年利用統制上これを尾札部村に無償貸與しその維持修理は使用料の収入限度内とすることとなった。,同じく地元町村に移管された小漁港は、管内元椴法華、小谷石(知内)、亀泊(鹿部)であった。                                           / 尾札部村船入澗
函館市史 通説編 第一巻 (亀ヶ岡文化)

亀ヶ岡文化 縄文晩期を代表する文化に「亀ヶ岡文化」がある。,東日本で亀ヶ岡文化が栄えたころに、九州では、中国・朝鮮の大陸文化が直接関連した。,縄文時代の土器で江戸時代から有名なのは亀ヶ岡の土器である。,函館の亀尾にある女名沢(めなざわ)の遺跡あるいは上磯の添山や久根別(くねべつ)の遺跡などがほぼ同じころに,発掘され、北海道における代表的な亀ヶ岡式の遺跡として有名になった。   / 亀ヶ岡文化
椴法華村史 (亀田分署の設置と椴法華村)

亀田分署の設置と椴法華村 明治十六年十月十四日、函館県布告第五十八号布達により函館警察署亀田分署が設置,され、亀田郡一円を管轄することになり、この時から椴法華村は亀田分署の管轄下に置かれることになった。,明治十八年九月発行の『函館県警察規則全』は当時の亀田分署の業務内容と管轄地域について次のように記している,(以下省略)   函館警察区画明細 明治十八年六月   函館警察亀田分署   管轄地名    ,亀田村・上湯川村・下湯川村・根崎村・志苔村・銭亀沢村・石崎村・小安村・戸井村・尻岸内村・椴法華村・亀尾村 / 亀田分署の設置と椴法華村
函館市史 銭亀沢編 (郵便電信)

函館市史 銭亀沢編 / 郵便電信 石崎郵便局、銭亀澤郵便局ノ二アリ。銭亀澤局ハ無集配局ナリ。,石崎郵便局ノ配達区域ハ大字石崎村一円及字古川尻及湯川村大字亀尾村ニシテ、銭亀沢村ハ(石崎、古川尻ヲ除ク
函館市史 銭亀沢編 (大小区画割制から郡区町村制)

函館市史 銭亀沢編 / 郡役所の下に戸長役場が設置され、銭亀沢村には銭亀沢村、志苔村、亀尾村の三村を所管する戸長役場が置かれ、,とし、銭亀沢村戸長役場からは、亀尾村を下湯川村戸長役場所管へ移した。,(以上現函館市) 2 下湯川村、上湯川村、鷲巣、深堀(以上現函館市) 3 亀尾村、志苔村、銭亀沢村、石崎村,、臼尻村(以上南茅部町)、鹿部村(現鹿部町)、砂原村、掛澗村(以上現砂原町) 3 尾白内村、森村、鷲木村,小区 村名 1 亀田村、深堀村、下湯川村、上湯川村、鷲巣村、志苔村、銭亀沢村、石崎村、亀尾村(以上現函館市
函館市史 銭亀沢編 (銭亀沢の鳥類標識調査以外で観察された鳥類)

函館市史 銭亀沢編 / 銭亀沢の鳥類標識調査以外で観察された鳥類 標識鳥以外で、目撃により記録された鳥類は一三目二五科六三種,当地では、銭亀町の海岸で観察されている。  ,:不確実 ※全長(体を伸ばしたときの嘴の先から尾の先までの長さ)は大凡の数値 / 銭亀沢の鳥類標識調査以外で観察された鳥類
椴法華村史 (亀田郡編入運動(一))

亀田郡編入運動(一) かくして椴法華村・尻岸内村・戸井村・小安村は明治十一年を期して、区務所が亀田村,に設置されている亀田郡への編入を挙げて陳情することになったのである。  ,書記官                          書記官    渡島國茅部郡小安村外三ヶ村ヲ亀田郡,ヘ組入等之儀ニ付別紙元第廿九号伺書差出候右ハ兼テ御承知之通椵(ママ)法華村ヨリ尾札部村迠之間、凡三里(,接シ東北海ニ面シ沿海三十四五里ニ亘り郡中山岳主壘村落ハ沿海ノ外絶テ無之就中同郡椴法華村ト尾札部村トノ間懸崖絶壁海 / 亀田郡編入運動(一)
南茅部町史 下巻 (尾札部村忠魂碑)

尾札部村忠魂碑 尾札部忠魂碑は、大正七年に尾札部稲荷神社境内の東側奥深くに建立され、その地に現在も祀,尾札部村忠魂碑 大正7年   渡島管内忠魂碑調 市町村名 建立年月日 揮毫者 建立地,#160;             南茅部 尾札部,大正七・二・ 陸軍大将男爵 福島 安正 尾札部稲荷神社 (現 在 地)    ,          尾札部分会・後援会   / 尾札部村忠魂碑
函館市史 別巻 亀田市編 (村章)

函館市史 別巻 亀田市編 / 村章 大正四年十一月十二日、亀田村は村章を制定した。,亀田村の名称から亀の形を図案化し、まん中に、農業のもとである米作りの田を置き、亀の頭尾手足はそれぞれ鍛冶,、神山、赤川、石川、桔梗、亀田をあらわし、これら六か村が一体となって発展することを祈念している。,[亀田村章]
函館市史 別巻 亀田市編 (戸長・戸長役場の統廃合)

函館市史 別巻 亀田市編 / とあり、『亀田村郷土誌』の記述(二十一年に合併)と相違しているが、ようやく後年の旧亀田村のグループ編成,北海道庁長官 岩 村 通 俊          亀田郡亀尾村を同郡亀田外八か村戸長役場の管轄に移す,   右によって、旧亀田村の組み合わせ(六か村)の外に上湯川村、下湯川村および亀尾村を加えるようになり,戸長役場位置 亀田村(明治二十三年十二月調 北海道庁)    亀田村 鍛冶村 神山村 桔梗村 赤川村, 石川村    幾度かの変遷を経て、ようやく旧亀田村の六か村が組み合わされて、亀田村に戸長役場を置
函館市史 別巻 亀田市編 ([口絵])

函館市史 別巻 亀田市編 / [口絵] 亀田市章 昭和46年11月1日制定  市章は、大正4年11月12日亀田村の亀の形を図案化,し、水田を中心にすえ、亀の頭、手、足、尾は亀田、鍛治、神山、赤川、桔梗、石川をあらわし、六か村が一体となり,じて制定したが、これを現代的に表現し、古い歴史と自然とがかもしだす恵まれた環境の中で、力強く前進する亀田市,亀田市旗  地色の白は、美しい自然と清潔を意味し、赤は未来に向かって力強く前進するエネルギーを象徴,旧亀田牧場より亀田市と函館市を望む 旧亀田牧場より亀田市と函館市を望む
函館市史 別巻 亀田市編 (全道大小区画)

函館市史 別巻 亀田市編 / 一小区 亀田村 深堀村 下湯川村 上湯川村 鷲巣村 志苔村 銭亀沢村      石崎村 亀尾村(九か, 中島村(七か村)    明治六年の小区より今回は村数を増加し、その組み合わせが大きく変更され、亀田村
南茅部町史 上巻 (尾札部村冷蔵庫を設置)

尾札部村冷蔵庫を設置 (函館日日新聞/昭和12・5) 茅部郡尾札部村漁業組合は、事業振興を期するため,           工 藤 石太郎 同   同           金 澤 徳三郎     無限責任 尾札部漁業協同組合,   茅部郡尾札部村字尾札部 電話尾札部四 地区 茅部郡尾札部村 設立 明治三九・一二・一一 ,基金 一、二六五圓 其他積立金 一、八七一圓 組合員ノ生産總額 七二八、三四六圓 組合長 茅部郡尾札部村,武 雄 理 事 同           上 肥 岩 蔵 同   同           佐 藤 亀  / 尾札部村冷蔵庫を設置
函館市史 別巻 亀田市編 (大小区画の変革)

函館市史 別巻 亀田市編 / この時の亀田郡の編成は『北海道大小区画沿革表』(明治九年九月制定)によると次のようになっている。  ,所轄 函館支庁   国名 渡島国   郡名 亀田郡   一小区  亀田村 深堀村 下湯川村 上湯川村, 鷲巣村 志苔村 銭亀沢村 石崎村 亀尾村   二小区  鍛冶村 神山村 赤川村 石川村 桔梗村 大川村,湯川二村ヲ併ス  ○下湯川村―明治十二年深堀、上(下カ)湯川二村ヲ併ス    その後明治十二年七月、亀田
南茅部町史 上巻 (無限責任尾札部漁業協同組合)

無限責任尾札部漁業協同組合 昭和一〇年七月一日認可  昭和一〇年八月五日登記  組合員七七五名    ,字尾札部六五番地    昭和一九年四月一日漁業会に改組   組合長理事  田 中 翁 正(昭和,~昭和13・2・20死亡)  渋 田 武 雄(昭和13・4・21~昭和15・9・3)  荒 木 亀 ,雄(昭和15・9・18~昭和19・   )   理   事  佐 藤 亀 吉(昭和10・9・17 / 無限責任尾札部漁業協同組合
函館市史 銭亀沢編 (石崎村)

函館市史 銭亀沢編 / 石崎村 銭亀沢地域の東部、現在の戸井町と境を接するのが石崎村である。,字白石、崎は宅地の背後がすぐ崖地となっており、また、銭亀沢村寄りの字石崎は海岸線から宮の川沿いに宅地が,北海道立文書館蔵 簿書番号2832)により作成    石崎村居住者が所有する耕地は村内および亀尾村,隣村亀尾村内の船木、女名の沢、山の神、川原続など汐泊川中流域に所有する耕地は六八筆あり、等級一、二等のものが,また、鰯漁場は村内に六筆、銭亀沢村字古川尻に一筆ある。
函館市史 別巻 亀田市編 (村・町議会議員)

函館市史 別巻 亀田市編 / 忠三  長谷川健蔵   谷上 喜作  三浦 兵作   西村 光栄  北林智恵司  小柳  勲   亀谷,利春   近江新三郎  筆村由之助  佐藤 長吉  西村 光栄  池田徳三郎   土井 勝雄  亀谷,定蔵   小野耕太郎  水島辰三郎  木戸浦重作  福田与一郎  佐藤 長吉   佐々木敏雄  松尾 ,正義  亀谷 利春  横滝 直蔵  厚谷 政治   谷上 喜作    ○昭和三十四年補欠選挙,山村徳次郎  深田源太郎  小野耕太郎  木戸浦重作   福田与一郎  渋谷 清造  秦  徳雄  松尾 
函館市史 別巻 亀田市編 (大小区画制)

函館市史 別巻 亀田市編 / 大小区画制 明治六年五月大小区画が施行され、亀田郡全体は四大区に属し、郡下三〇村は七小区に分けられ、,明治六年五月郡村大小区画ヲ定ム   四大区  亀田郡 小区一ヨリ七ニ至ル村三十     一小区  ,亀田村 赤川村 神山村 鍛冶村   二小区  下湯川村 上湯川村 鷲巣村 深堀村   三小区  亀尾村, 志苔村 銭亀沢村 石崎村   四小区  石川郷 桔梗村 大川村 中島郷   五小区  七重村 飯田村
函館市史 銭亀沢編 (干場)

函館市史 銭亀沢編 / 予察調査報告』によれば、渡島地域の干場について、「渡島国ニ至テハ干場概シテ狭小ニシテ不便尠カラズ就中茅部尾札部臼尻地方,ハ元揃昆布ノ名産地ナレドモ其干場ノ不便ナルアルヲ以テ年々干場ノ修築ニ費ヤストコロノ額尠トセズ又亀田郡椴法華,これによると、銭亀沢を含む汐首から函館の大森浜に至る海浜部は、良好な昆布干場であったことが知られる。,一隻の昆布採取船が昆布を干しあげるために必要な干場面積(一艘浜)は、渡島では、尾札部が一四〇坪、志海苔,ヨリ多キハ三百坪余ニ至リ、採収ノ豊カナル処ハ百五六十坪ヨリ二百坪ヲ以テ普通トス」として、「真昆布場(銭亀沢
函館市史 銭亀沢編 (明治十二年の神社調査)

函館市史 銭亀沢編 / した場合、社名変更をした根崎の「川濯社」、新たに造立もしくは管下に組み込まれた志苔村の「稲荷神社」と亀尾村,根崎の川濯社(寛文三年-一六六三)、志苔八幡神社(天正年中-一五七三~九二)、銭亀沢八幡神社(正保元年,-一六四四)、銭亀沢の石倉稲荷神社(明和六年-一七六九)、古川尻の川濯社(明和元年-一七六四)、石崎八幡神社
函館市史 別巻 亀田市編 (歴代戸長)

函館市史 別巻 亀田市編 / 任明治十七年十月六日辞職 (5)岩間 勝従 明治十七年十月八日任 明治十八年九月三十日辞任    亀田, 鍛冶 神山三村戸長役場 (1)広田 千秋(亀田郡長兼務) (2)小倉荘次郎 明治十四年一月二十三日任,明治十七年九月二十五日辞職 (3)高津勝之助 明治十七年九月二十五日任    明治十八年十月一日赤川、石川、桔梗及び亀田,明治二十六年十二月二十日(実在)    (瀬島と神山の間は不明) (4)神山小太郎 明治三十年五月二十二日亀田鍜冶神山赤川石川桔梗戸長兼下湯川,、上湯川、亀尾村戸長(免兼官) (5)加藤 章二 明治三十年五月二十二日兼仕 (6)佐野 正義 明治三十二年三月三十日実在
函館市史 銭亀沢編 (白木神社)

函館市史 銭亀沢編 / 白木神社 本村ノ北部亀尾村ニ接スル處ニ、橡ノ大木アリ。,會々故長官黒田清隆管内巡視トシテ亀尾村ニ至リ此ノ霊木ニ接シテ枝間ノ小宮ヲ認メ感嘆之ヲ久シフシ名ヲ白木神社
函館市史 銭亀沢編 (狭い海岸低地と汐泊川沖積地)

函館市史 銭亀沢編 / 昭和三十一(一九五六)年発行の銭亀沢村『村勢要覧』の表紙写真には、まだ未整備の道路とともに、黒岩岬から,銭亀沢の低地としては、もう一つ汐泊川の沖積低地がある。,ここも、大正四(一九一五)年の地形図によれば、水田は上流の亀尾近辺に限られており、銭亀沢地内の水田は、
南茅部町史 上巻 (尾札部漁業組合役員)

尾札部漁業組合役員 明治三八年一〇月二七日申請 明治三九年一二月一一日認可 字尾札部六五番地  ,・5・24~昭和7・3・30) 山 川 善太郎(昭和5・4・28~昭和10・9・16) 佐 藤 亀  / 尾札部漁業組合役員
函館市史 銭亀沢編 (最初の漁業組合)

函館市史 銭亀沢編 / この中に、銭亀沢村に関係する「根崎・志苔」「銭亀沢・亀尾」「石崎」の三つの漁業組合があり(表3・1・13
函館市史 別巻 亀田市編 (御手作場)

函館市史 別巻 亀田市編 / 御手作場 前松前藩時代に試みられた亀田地域の農業は、天明の飢饉や松前藩の農業政策のまずさのために失敗,し、『渡島国状況報文 亀田村外六村』に、「水田ノ如キモ文化ノ初メ村民ノ開発セル所、大字鍛冶村ニ七町歩、,すなわち安政二(一八五五)年、庵原菡斎が開墾した亀尾で稲、穀物、野菜、果樹などを本州から求め、試作したところほぼ
函館市史 別巻 亀田市編 (製氷業者の増加)

函館市史 別巻 亀田市編 / また、他の製造業者もそれぞれ所在の村に池を作り、伐氷場としたので、亀田村、鍛冶村、石川村、中道、神山村,地  名 製造者 製氷噸数 五 稜 郭 龍 紋 八、〇〇〇  石   川 井 上 四、〇〇〇  亀田尾場,〇〇  神   山 北 原 三、〇〇〇  上 湯 川 永 田 八〇〇  神   山 金 子 八〇〇  亀田尾場上,堀田常右エ門 〃 九〇〇 九〇〇 二四〇 二四〇 亀田村字石川野七十八番地 山 田 ,三十五番地 船 水 米 吉 〃 〃 二八五 二八五 二八五 二〇〇 二五〇 五〇 亀田村大字亀田村字谷地頭十番地
函館市史 銭亀沢編 (馬の糞団子)

函館市史 銭亀沢編 / 捜したら亀尾の奥の川原にいた。
函館市史 銭亀沢編 (凡例)

函館市史 銭亀沢編 / 凡例 一 本巻は、『函館市史』銭亀沢編とし、先史時代から現代までを対象として叙述した。,一 銭亀沢編の対象地域は、昭和四十一年に函館市と合併した旧銭亀沢村の範囲をさす。   ,なお、叙述の中で銭亀沢、銭亀沢地区、銭亀沢地域との記載は、特に断りがない限り、この旧銭亀沢村の範囲をさす,一 本巻の編集は主に、根本直樹があたり、七尾佳佑、渡辺道子、桜庭宏、山本美由紀、岩館えりかが協力した。
函館市史 別巻 亀田市編 (周辺の地史)

函館市史 別巻 亀田市編 / けられたが、この図には亀田の山や河川などがよく表現されている。  ,亀田の地質が調査、報告されたのは昭和八年になってからで、福富忠男が「北海道有用鉱物調査報文 渡島支庁管内亀田郡大部,これによると、亀田半島の地質や鉱物などについても調査されているが、亀田に関する記事は少なく、地史に関するものでは,渡島半島の地質構造や地史に積極的に取組んだのは長尾巧、佐々保雄らであった。,地質の構造は山地や河川上流の岩石あるいは岩層の堆積状態などによって調べられるのであるが、長尾・佐々らの
函館市史 別巻 亀田市編 (町制施行功労者)

函館市史 別巻 亀田市編 / 町制施行功労者 (故)塩田利八 (現)亀谷 正  厚谷政治  筆村由之助 藤谷久三郎   柴谷豊司,  木戸浦重作  松尾正義  深田源太郎  井上忠三   佐々木敏雄 小野耕太郎 小柳忠蔵  横山巌
函館市史 別巻 亀田市編 (地質)

函館市史 別巻 亀田市編 / 地質 福富によると亀田半島に古生代の岩質があると述べているが、長尾・佐々によると第三紀の古第三紀の地層,これらのことから亀田の地史は松倉集塊岩や黒松内統集塊岩ができたころから始まると推定される。,このころの函館や亀田周辺は海水が覆っていて現在の地形とはかなり違っていた。,亀田半島や渡島の山もその多くはまだできていない。,初めの溶岩は、現在の横津岳を中心に溶岩が流出して放射状に張り出す尾根を造り、亀田半島の主要部を形成した
函館市史 別巻 亀田市編 (開拓使の奨励政策)

函館市史 別巻 亀田市編 / 種子ハ武州北豊島郡ト尾州中島郡ノ産ヲ重(主)トス。,奸商等他ノ種子ヲ以テ前二種ト詐リ利ヲ貪ル者アリ、因テ試ニ正真ノ良種ヲ購シ、亀田郡亀田、鍛冶、神山三村ニ,明治十年五月 武州豊島郡産蘿蔔種子七斗ヲ購シ、亀田郡数村ニ頒ツ。    ,、桔梗村二一戸、石川村九戸、亀田村一九戸であった。)    ,明治十三年 春播大麦種子若干ヲ亀田、上磯二郡及其他人民ニ売下グ。     
函館市史 別巻 亀田市編 ([七月])

函館市史 別巻 亀田市編 / [七月] 七月二日 一 岸(峯)尾勘重(十)郎様 上下弐人 但し下湯川村 当村え御出  右は猿蟹,(ザリガニノコト)御用ニ付、当村御泊ニ付、亀田村、鍛次村、中  道村、上山村、右村役御呼出し役御用向被二仰渡一候, 文月村   濁川村 中ノ郷 一本木村 千代田郷   右村々 役人中 一 猿蟹掛御役人岸(峯)尾勘重,               鍛次村 名主                  徳 三 郎    戌七月四日     峯尾勘十郎殿,一 七月五日岸(峯)尾勘十郎様当村御出立ニ付、前書の通人馬  差出し、亀田村え継送り申候。  
函館市史 銭亀沢編 (明治五年の神社調査)

函館市史 銭亀沢編 / 銭亀沢の神社は、後に確認するように、この湯倉明神の支配下になっていた。,永享年中平氏盛阿弥敬信ノ由古老ノ伝 明和8辛卯年7月神林安置ト村誌ニアリ  134戸 大山祇神社 亀尾村字野広場,明治五年の「壬申八月・十月巡回御用神社取調」が、さらに注目されるのは、根崎から石崎村の六社について、その末尾に,「以上、亀田郡湯川村湯倉明神ノ氏子場」と総括している点である。,銭亀沢の神社の管轄が、湯倉明神から亀田八幡宮に代わったのである。
函館市史 銭亀沢編 ([民謡])

函館市史 銭亀沢編 / 「私の知っている銭亀沢地域の歌い手には、江差追分大会の始まる前に活躍した中浜吉次郎、吉沢北斗、道南口説,過去に亀尾町の故木村益雄が道成寺の物語や化け猫の物語を口説節で歌っていました。,以上のことから銭亀沢地域の民謡伝承の一面がうかがわれる。
函館市史 銭亀沢編 (東部の山地)

函館市史 銭亀沢編 / この山地の顕著な地形的特徴は、標高二五〇から三〇〇メートルに頂面を揃える尾根部の定高性にあり、温川対岸,また、尾根部の緩やかな斜面が共同放牧場として昭和三十(一九五五)年代末から四十年代頃に利用されたこともある,岩脈に含まれる銅、鉛、硫化鉄を対象に石崎鉱山が、また汐泊層中の鉱脈に胚胎する黄鉄鉱、閃亜鉛鉱を対象に銭亀沢鉱山,銭亀沢東部の山地(鶴野町付近から清水山321.3メートル)  近年はあまり積極的な利用が行われていない
函館市史 別巻 亀田市編 (位置と地勢)

函館市史 別巻 亀田市編 / 地理的には渡島半島の南部を南東に走る亀田半島にあり、南西の函館平野へと続いている。,その主な山を見ると亀田半島の尾根を形成している山々が北壁となり、それらの主峰を形成する七飯町の横津岳から,横津平の北東から南東が南茅部町と鹿部村、北西から南西が七飯町、南が亀田である。,河川には亀田の中央を流れる亀田川がある。,亀田川は『函館区史』によれば「袴腰岳に発し、白井川赤井川の二溪流相合して赤川となり、亀田村を過ぎ亀田川
函館市史 別巻 亀田市編 (村役人と仕事)

函館市史 別巻 亀田市編 / 村役人と仕事 前松前藩時代、亀田郷の村々に直接在村していた役人は小頭だけで、亀田奉行―名主―年寄といった,役職の者は、みな当時箱館に在った亀田番所に勤務していた。,次に村尾元長の『維新前町村制度考』(略記)により、この時代の名主の選び方や職務内容についてふれてみたい,亀田郡及上磯郡各村ハ皆村中協議、人望アルモノヲ撰ンデ名主トス。,○名主ノ給料、亀田郡亀田村ハ袴料トシテ一ケ年金拾両、鍛冶村・神山村・七重村各村之ニ同ジ。
函館市史 別巻 亀田市編 (開拓農協の統合)

函館市史 別巻 亀田市編 / なお統合による名称も「亀田村開拓農業協同組合」と称することとし、十一月中旬には臨時総会を開催し、新役員,十一月十五日、村役場において第一回設立総会がもたれ、新しい役員には、  組合長 目谷勝三郎  副組合長 松尾正義,役 員  組合長 目谷勝三郎  副組合長専務理事 松尾 正義       理事 菊谷 兼雄  古藤  , 厚谷孝次郎  池田 由蔵    こののち開拓農協は運営の内容を充実し、前進を続け、昭和三十九年亀田農業協同組合
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