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函館市史 通説編 第一巻
(請負人と場所との関係)
亀
屋
武兵衛
栖原六右衛門 伊達林右衛門 茂兵衛 浜田
屋
兵四郎 広島
屋
布右衛門 河内
屋
増右衛門,幌泉 高田
屋
金兵衛
亀
屋
武兵衛
福島
屋
嘉七 浜田
屋
兵四郎
亀
屋
武兵衛
福島
屋
嘉七 浜田
屋
兵四郎,
亀
屋
武兵衛
十勝 福島
屋
嘉七 秋田
屋
喜左衛門 福島
屋
嘉七 秋田
屋
喜左衛門 和賀
屋
宇右衛門 根室,
亀
屋
武兵衛
まず、文政年間各場所の断宿となっているのは、
亀
屋
武兵衛
、和賀
屋
宇右衛門,、浜田
屋
兵右衛門の3人で、天保年間の前期では浜田
屋
兵四郎、和賀
屋
宇右衛門、
亀
屋
武兵衛
、秋田
屋
喜左衛門の
函館市史 通説編 第一巻
(問屋株仲間)
同 兵右衛門 同 半兵衛 同 喜左衛門 同
武兵衛
,同 太郎右衛門 箱館問
屋
頭 宗太郎
亀
田御名主 七郎右衛門殿 (『箱館問
屋
儀定帳』), この願書は名主から
亀
田奉行酒井伊左衛門に提出し、伊左衛門から藩主に伺いの上5月22,日付をもって、浜田
屋
(井口兵右衛門)長崎
屋
(佐藤忠兵衛)秋田
屋
(芦野喜左衛門)
亀
屋
(蛯子
武兵衛
)角
屋
(,その後、天明元年に和賀
屋
(白鳥宇右衛門)、文政6(1823)年中村
屋
(中村孝兵衛)、嘉永3年大津
屋
(田中茂吉 / 問
屋
株仲間
函館市史 通説編 第一巻
(市中商人の成長)
、長崎
屋
半兵衛、和賀
屋
宇右衛門、高田
屋
金兵衛、秋田
屋
甚作、
亀
屋
武兵衛
、辰巳
屋
七郎兵衛、井筒
屋
喜兵衛、浜
屋
次兵衛,、東
屋
善三、近江
屋
清六、越前
屋
七五郎、山口
屋
太次兵衛、
亀
屋
喜惣二、越後
屋
善吉、能登
屋
惣十郎、吉崎
屋
五右衛門,内澗町惣代相原
屋
喜之丞、藤
屋
与三郎。大町惣代能登
屋
久太郎、越後
屋
新五郎。,、長崎
屋
半兵衛、高田
屋
金兵衛、
亀
屋
武兵衛
、井筒
屋
喜兵衛、吉崎
屋
五右衛門、浜田
屋
兵右衛門、和賀
屋
宇右衛門,、辰巳
屋
七郎兵衛、浜
屋
次兵衛、東
屋
善三、伊倉
屋
太三郎、
亀
屋
喜惣二、越後
屋
善吉、越前
屋
七五郎、山口
屋
太次兵衛
椴法華村史
(愛宿丸の椴法華沖破船)
候趣今日態飛脚を以て申来候間御出役御見分被仰付被下置度乍恐此段以書付奉願上候以上 船宿
亀
屋
,
武兵衛
印 申四月廿五日 クスリ御場所宿 ,大津
屋
茂吉印 同
屋
取改 浜田
屋
兵右衛門印 , 御番所様 前書之通相糺候処相違無御座候間奥印仕候 以上 問
屋
取締役,込當村前浜凡三丁程沖合江碇海致候ニ付難破船とも可有之引漁船六艘江村役並立入人数乗込為見届漕付相尋候処宿
武兵衛
越後国鬼舞浦与右衛門船
南茅部町史 上巻
(知行主)
北村武左衛門 嘉七 尻岸内 三十両 箱館 白鳥
屋
新十郎 箱館
亀
屋
武兵衛
, 白鳥 庄助 尾札部 百 両 箱館 白鳥
屋
新十郎 浜田
屋
兵右衛門, 茅 部 四十両 箱館 角
屋
太郎右衛門 箱館 角
屋
吉右衛門 角
屋
吉右衛門 モナシベ, 野田追 七十両 箱館 江口
屋
兵右衛門 松前 河崎
屋
新六 白鳥
屋
新十郎 ユウラフ, 三十両 松前 材木
屋
藤右衛門 (「松前町史
函館市史 別巻 亀田市編
(東照宮の建立と焼失・遷座)
函館市史 別巻
亀
田市編 / 宮司)の書いた記録によれば、 箱館奉行従五位下小出大和守殿政府ノ命ヨリ北門ノ鎖鑰ニ五稜郭ヲ
亀
田郡,又小林重吉、佐野専左衛門、山田文右衛門、佐藤半兵衛、福島與吉、蛯子
武兵衛
、佐藤佐次兵衛、田中正右衛門、,白鳥衡平、五十嵐要助、松代保平、國領平七、井口兵右衛門、藤野喜兵衛、杉野三次郎其他回船問
屋
一同其外ノ町人,一 手水鉢 是ハ大坂御影石ニテ其目形七百貫目長六尺巾三尺余 壱個 一 水
屋
是ハ九尺弐間惣銅葺木材,徳川家康の社
屋
ニも砲墩相設ケ応援し、兵ノ屯集仕居候得共、是亦本道の長州兵突入に及び、両所とも同じく潰散仕
函館市史 通説編 第一巻
(冥加金引下げ願)
冥加金引下げ願 このような実情から箱館の問
屋
の取扱荷物は著しく減少した。,年以前酉年(享和元年)、問
屋
御印紙新規下し置かれ有難き仕合せに存じ奉り候。,秋田
屋
甚作 和賀
屋
宇右衛門
亀
屋
武兵衛
, 角
屋
吉右衛門 浜田
屋
兵右衛門 ,問
屋
側の主張するように問
屋
口銭の収入が皆無になったというのは疑わしいが、少なくとも直捌の廃止で箱館の問
屋
南茅部町史 上巻
(文化文政の新鱈約定)
文化一四年(一八一七)、尻岸内の村三役から、高田
屋
嘉兵衛の箱館総支配であった実弟の高田
屋
金兵衛にあてた,鬮は当てたが井筒
屋
、和賀
屋
ともどもに高田
屋
へ臼尻の新鱈を譲渡したときの証文である。 , 国右ヱ門 印 百姓中 證人
亀
屋
,
武兵衛
印 同 和賀
屋
, 松前箱館御雇船主 中村
屋
新三郎 殿 良 助 殿 同所問
屋
恵山町史
(2、場所請負制)
、『蝦夷地収納運上金帳』によれば、シリキシナイ場所の場所請負人は、1786年(天明6年)箱館の商人、
亀
屋
武兵衛
函館市史 通説編 第一巻
(小宿)
』)とあり、別に、「(同年同月)松前藩ニ於テ始メテ隅
屋
(鍋力)吉古衛門、
亀
屋
七郎兵衛、大坂
屋
彌兵衛、近江
屋
善兵衛,、吉村
屋
善左衛門、村田
屋
作右衛門、
亀
屋
吉郎兵衛ノ七名へ命ジ、(中略)当時問
屋
六軒、小宿七軒ヲ以テ定員トセリ,一 諸廻船入出の荷物売買の節、問
屋
、小宿七分三分の割合に致すべく、尤問
屋
より差図にて小宿へ売らせ候はば,天明七年丁末十月 若狭
屋
五郎兵衛 秋田
屋
喜左衛門 角
屋
吉右衛門 加賀
屋
新十郎 蛯子
武兵衛
長崎
屋
半兵衛,以上 (『箱館問
屋
儀定帳』) この問
屋
の株仲間化は、旧来の収税体系を生産と流通両面
函館市史 通説編 第二巻
(移出海産物の取引)
そのほか、昆布、鮭の漁場所有者、
亀
田郡、東海岸各漁場仕入商人(仕込と同意)、等々がみられた。 ,この
亀
田郡、東海岸漁場仕入については「元来、漁場仕入とは収獲期節に至れば、漁夫の出稼旅費を支弁し、其終期,営業内容からいうと買
屋
的であり、「同商には各種類あり」とされているように、取扱品目によって多様であった,なものであるところからみて、委託品売買商といい、仲買商といっても、ほとんど同じ業態だとみていいようであり、いわゆる買
屋
に,川名得太郎、船場町の安達支店、同町の森本一郎、東浜町の藤野四郎兵衛、仲浜町の岩出惣兵衛、末広町の田中
武兵衛
支店
恵山町史
(2、箱館六ケ場所の成立)
鯡 数子 昆布 夏出物 十月之初より膃肭臍(オットセイ)取申候 *運上金弐拾両 壱ケ年に指上け
亀
田村,また、オットセイ漁の請負については、運上金先払いの条件で
亀
田の百姓が特権を得ており、獲物の内、一定の規格品,両 一七八九年(寛政元)から三ヶ年 ・北村武左衛門 ・
亀
屋
武兵衛
, (箱館) 三〇両 一七八六年(天明六)~一七九一年(寛政三) シリキシナイ ・
亀
屋
武兵衛
(,シクラ サワラ 産物 鯡 干鱈 鱒 膃肭臍(オットセイ) 鮭 昆布 但し
亀
田村箱館村々百姓
函館市史 通説編 第二巻
(鰊網全盛の第3期)
また、35年に外国領海水産組合(サガレン島水産組合)の評議員となった漁業者14名の履歴では、家業が船問
屋
、,米林伊三郎 宮島鎗八 大内兵吉郎 桂久蔵 柳谷助市 田中
武兵衛
,岡田八十次 酒谷林次郎 米田六四郎 鈴木重右衛門 伊藤
亀
蔵 村上祐兵,米林伊三郎 宮鳥鎗八 大内兵吉郎 桂久蔵 柳谷助市 田中
武兵衛
,岡田八十次 酒谷林次郎 米田六四郎 鈴木重右衛門 伊藤
亀
蔵 村上祐兵
恵山町史
(6、郷土と高田屋嘉兵衛)
箱館恵比須町・宝来町の湿地5万坪の埋立ほか、箱館山や
亀
田の山に杉・松の植林をする。 ,1801)、箱館恵比須町・宝来町にまたがる湿地5万坪(16万5千平方メートル)を埋め立て開発、箱館山と
亀
田,團右ヱ門 印 (土谷) 百姓中 證 人
亀
,
屋
武兵衛
印 同 和賀
屋
宇右ヱ門 印 高田
屋
金兵衛 殿,嘉永7年3月)『箱館六ケ場所調べ・田中正衛門文書』(市立函館図書館蔵)の日浦の項に「弁天小社一ケ所、
亀
田村神主 / 6、郷土と高田
屋
嘉兵衛
函館市史 通説編 第二巻
(西洋形帆船の建造ブーム)
仁風丸 隼丸 東昇丸 雌阿寒丸 蒲浦丸 長運丸 久玉丸 金多丸 高砂丸 旭丸
亀
田丸,樺太丸 浄丸 日吉丸 幸丸 長運丸 栄勢丸 環運丸 敦賀丸 新日高丸 昌盛丸
亀
子丸,島野市郎治 杉沢利吉 松井忠助 浦柳忠吉 鈴木市蔵 小池安兵衛 島野市郎治 山田忠作 桃木
武兵衛
,また田中正右衛門は旧問
屋
であり、この時点では問
屋
業をはじめ銀行役員、そして道東の漁業経営者でもあり、旧来,田中以外の旧問
屋
商人の帆船所有は見られない。
恵山町史
(5、江戸時代の鱈漁)
の鱈漁 <鱈の漁場、恵山沖> 文化14丑年(1817)12月、『新鱈儀定證文之事』より 高田
屋
嘉兵衛,團右ヱ門 印 (土谷) 百姓中 證人
亀
屋
,
武兵衛
印 同 和賀
屋
,)、郷土、尻岸内の村三役(支村、根田内・日浦を含む)から、豪商、高田
屋
嘉兵衛の実弟である箱館総支配の高田
屋
金兵衛,尚、この年は前述、尻岸内村の三役が高田
屋
金兵衛と新鱈儀定を交わした年である。
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