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南茅部町史 下巻
(川汲山道の道中)
一本木から今の
亀尾
の方回れば遠いわげだ。歩いてえぐんだ。 ,だからそっち(
亀尾
)通るの、めったに無(ね)えんだ。木原ばし通ってえぐんだ。
函館市史 通説編 第一巻
(函館の亀ヶ岡文化)
函館で亀ヶ岡式の土器が出土したのは住吉、函館公園付近、榎本、高丘、
亀尾
の各町である。,函館の亀ヶ岡文化の代表的なものは
亀尾
の女名沢遺跡で、伊藤昌吉が資料を収集し、大部分が市立函館博物館に収蔵,
亀尾
の女名沢遺跡が有名になったのは『北海道原始文化聚英』-昭和8年-、『新撰北海道史』第2巻通説1-昭和
函館市史 銭亀沢編
(郵便電信)
石崎郵便局ノ配達区域ハ大字石崎村一円及字古川尻及湯川村大字
亀尾
村ニシテ、銭亀沢村ハ(石崎、古川尻ヲ除ク
函館市史 銭亀沢編
(大字銭亀沢村)
大字銭亀沢村 凡ソ五百年前石崎村ノ移住者中分離シテ一部落ヲナシ、現今湯川村大字
亀尾
村ヲ包有シテ、明治
函館市史 銭亀沢編
(白木神社)
白木神社 本村ノ北部
亀尾
村ニ接スル處ニ、橡ノ大木アリ。,會々故長官黒田清隆管内巡視トシテ
亀尾
村ニ至リ此ノ霊木ニ接シテ枝間ノ小宮ヲ認メ感嘆之ヲ久シフシ名ヲ白木神社
函館市史 通説編 第一巻
(かんらん石玄武岩)
かんらん石玄武岩 かんらん石玄武岩は鈴木・長谷川(1963)によると、汐泊川流域の
亀尾
町付近で汐泊川層
函館市史 銭亀沢編
(馬の糞団子)
捜したら
亀尾
の奥の川原にいた。
函館市史 別巻 亀田市編
(全道大小区画)
一小区 亀田村 深堀村 下湯川村 上湯川村 鷲巣村 志苔村 銭亀沢村 石崎村
亀尾
村(九か
函館市史 別巻 亀田市編
(戸長・戸長役場の統廃合)
北海道庁長官 岩 村 通 俊 亀田郡
亀尾
村,村戸長役場の管轄に移す 右によって、旧亀田村の組み合わせ(六か村)の外に上湯川村、下湯川村および
亀尾
村
函館市史 銭亀沢編
(石崎村)
北海道立文書館蔵 簿書番号2832)により作成 石崎村居住者が所有する耕地は村内および
亀尾
村,隣村
亀尾
村内の船木、女名の沢、山の神、川原続など汐泊川中流域に所有する耕地は六八筆あり、等級一、二等のものが
南茅部町史 下巻
(駄馬の運送)
戦後まで、
亀尾
、湯の川の駄付馬がきていたともいう(小中多三郎翁談)。
南茅部町史 下巻
(官林)
{赤川 石川 桔梗 亀田郡亀田村 大中山 下湯川 上湯川
亀尾
函館市史 別巻 亀田市編
(大小区画の変革)
郡名 亀田郡 一小区 亀田村 深堀村 下湯川村 上湯川村 鷲巣村 志苔村 銭亀沢村 石崎村
亀尾
村
南茅部町史 下巻
(鱒川峠越え)
鱒川小学校の沿革誌とその資料「鱒川のむかし」(瀬川恒太郎翁談)に拠ると、明治大正期の川汲街道は、現在の
亀尾
函館市史 銭亀沢編
(大小区画割制から郡区町村制)
郡役所の下に戸長役場が設置され、銭亀沢村には銭亀沢村、志苔村、
亀尾
村の三村を所管する戸長役場が置かれ、,からは、上湯川村内の元鷲巣村部分を根崎村と合わせて、銭亀沢村戸長役場所管とし、銭亀沢村戸長役場からは、
亀尾
村,亀田村、赤川村、神山村、鍛冶村(以上現函館市) 2 下湯川村、上湯川村、鷲巣、深堀(以上現函館市) 3
亀尾
村,亀田郡 小区 村名 1 亀田村、深堀村、下湯川村、上湯川村、鷲巣村、志苔村、銭亀沢村、石崎村、
亀尾
村
函館市史 別巻 亀田市編
(大小区画制)
亀田村 赤川村 神山村 鍛冶村 二小区 下湯川村 上湯川村 鷲巣村 深堀村 三小区
亀尾
村
函館市史 別巻 亀田市編
(御手作場)
すなわち安政二(一八五五)年、庵原菡斎が開墾した
亀尾
で稲、穀物、野菜、果樹などを本州から求め、試作したところほぼ
南茅部町史 下巻
(川汲山道)
亀尾
橋 現道から遠く離れた山の陰を進むので、
亀尾
の村里は見えない。
函館市史 銭亀沢編
(明治十二年の神社調査)
した場合、社名変更をした根崎の「川濯社」、新たに造立もしくは管下に組み込まれた志苔村の「稲荷神社」と
亀尾
村
函館市史 銭亀沢編
(八幡神社(石崎町))
それによると、石崎村脇沢に古来より山神社があったが、七、八〇年前に村民が
亀尾
村へ移動し山神社を遷座させた
函館市史 通説編 第一巻
(駒ヶ岳の噴火)
その後噴火の勢いが次第に衰えたが、9月1日北東風で降灰は上湯の川、
亀尾
辺にもあり、同月中駒ヶ岳付近は震動
函館市史 別巻 亀田市編
(歴代戸長)
間は不明) (4)神山小太郎 明治三十年五月二十二日亀田鍜冶神山赤川石川桔梗戸長兼下湯川、上湯川、
亀尾
村戸長
函館市史 別巻 亀田市編
(亀田警察分署の改革と所轄地域)
明治二十五年北海道亀田上磯茅部山越郡統計概表』にはその所轄区域が亀田 鍛冶 神山 赤川 桔梗 石川 下湯の川 上湯の川
亀尾
函館市史 銭亀沢編
(最初の漁業組合)
この中に、銭亀沢村に関係する「根崎・志苔」「銭亀沢・
亀尾
」「石崎」の三つの漁業組合があり(表3・1・13
函館市史 通説編 第一巻
(汐泊川チャシ)
汐泊チャシの遠景 汐泊川チャシは古川町と
亀尾
町の中間地点で、汐泊川流域にあり、川口から約1500,山頂からの展望は南の汐泊川河口や海岸線、西は対岸の段丘崖全体が見渡され、更に北の
亀尾
など汐泊川上流域まで
函館市史 銭亀沢編
(狭い海岸低地と汐泊川沖積地)
ここも、大正四(一九一五)年の地形図によれば、水田は上流の
亀尾
近辺に限られており、銭亀沢地内の水田は、
南茅部町史 上巻
(五稜郭進撃)
がすすめられていたので、人馬の往来も多く、野田府(現紅葉山・矢別ダム)から一本木(現馬揚から桂岱)目名(現
亀尾
椴法華村史
(亀田分署の設置と椴法華村)
亀田村・上湯川村・下湯川村・根崎村・志苔村・銭亀沢村・石崎村・小安村・戸井村・尻岸内村・椴法華村・
亀尾
村
函館市史 通説編 第一巻
(草野)
草野 上湯川、旭岡、見晴、豊原、
亀尾
、雁皮平などの丘陵台地の草原植生は当地域の特異な植物景観の一つであったが
函館市史 別巻 亀田市編
(戸長の職務内容)
であったものが、明治十八年の高津勝之助(亀田、鍛冶、神山、赤川、桔梗、石川六か村戸長兼上湯川、下湯川、
亀尾
三村戸長
函館市史 銭亀沢編
([民謡])
過去に
亀尾
町の故木村益雄が道成寺の物語や化け猫の物語を口説節で歌っていました。
南茅部町史 下巻
(〔川汲山銀銅山〕)
万延元年庚申(一八六〇)四月二日 河汲砥石山の開鑿のとき、
亀尾
御手作業農夫頭取甚右衛門は、官に願い
南茅部町史 上巻
(大小区画制)
一小区=亀田、赤川、神山、鍛治 二小区=下湯川、上湯川、鷲巣、深堀 三小区=
亀尾
函館市史 銭亀沢編
(銭亀沢村)
字本村(九三筆)、古川尻(四七筆)、湊(二七筆)、埜広場(六筆)、および隣村の
亀尾
村字川原続(一筆)、,耕地の場合、宅地とは違って古くから開けていた字本村の等級が高いわけではなく、等級一等とされるのは隣村の
亀尾
村内
戸井町史
((一)地形、地勢と植物)
竜神を祀っている丸山は、弁才町の北に聳え、函館市の
亀尾
との境界附近にあり、標高408米である。
南茅部町史 上巻
(町村制度の沿革)
亀田郡石崎村戸長役場ヲ廃シ同郡銭亀沢外三ケ村戸長役場ニ合併ス 一、亀田郡
亀尾
村,北海道庁令第二八号 本年五月一日ヨリ亀田郡下湯川村ニ戸長役場ヲ置キ同郡下湯川、上湯川、
亀尾
, 浜益村 黄金村 湯川村 亀田郡
亀尾
村
函館市史 通説編 第一巻
([赤川段丘(鈴蘭(らん)丘面と中野町面)について])
松倉川と汐泊川間の鈴蘭丘面堆積物は、汐泊川層の上に下部から
亀尾
砂層・段丘礫層・褐鉄鉱と砂層のやや傾斜した,
亀尾
砂層を東方及び南方へ追跡すると、いずれも泥炭層に変化しており、少なくともこの地層は潟(せき)湖あるいは
函館市史 通説編 第二巻
(開拓使の神仏分離観の転換)
村中 大山祗神社
亀尾
村 字川原続 村社 安改元(1854)年勧請。明治9年村社に列す。,42戸 大山祗神社
亀尾
村 字野広場 無格社 安政2(1855)年勧請。
函館市史 通説編 第二巻
(郡区長兼警察署長)
北海道庁警部補瀬島常隆が任命され、管轄区域も亀田郡のうち亀田、鍛冶、神山、赤川、石川、桔梗、上湯川、下湯川、
亀尾
函館市史 別巻 亀田市編
(亀田巡査派出所の設置)
亀田村 上湯川村 下湯川村 根崎村 志苔村 銭亀沢村 石崎村 小安村 戸井村 尻岸内村 椴法華村
亀尾
村
函館市史 通説編 第一巻
(開墾)
に精通しているところから、同年冬、この地方跋(ばっ)渉して地勢、地味を調べ、銭亀沢の奥、汐泊川の沿岸
亀尾
函館市史 別巻 亀田市編
(牛と五升芋)
このほかに『北海道総合経済史』には、「万延元年中島辰三郎の勧誘により、蛯子太郎左衛門は
亀尾
に水田のほか
南茅部町史 上巻
([官軍反攻])
官軍小隊は湯川
亀尾
を経て野田郡・一本木に陣し、台場山を窺う。
戸井町史
(一、霊山、丸山参詣記(昭和四十四年))
一、霊山、丸山参詣記(昭和四十四年) 戸井町と旧
亀尾
村(現函館市)の境界附近に丸山という海抜四〇八米,この山の頂上附近に小祠が建てられて居り、昔から竜神さんの霊場として、旧五月五日には戸井町、
亀尾
方面はもちろん
函館市史 通説編 第二巻
(渡島国を7大区とする企画)
鍛冶村 神山村 赤川村 下湯川村 上湯川村 鷲巣村 深堀村 銭亀沢村 石崎村 志苔村
亀尾
村,小区 4小区 亀田村 志苔村 深堀村 鷲巣村 下湯川村 銭亀沢村 上湯川村 石崎村
亀尾
村
戸井町史
(二、二代戸長 松代(まつしろ)孫兵衛)
孫兵衛の弟、姥子太郎左衛門は、家督を継いでから銭亀沢村外三村(銭亀沢、
亀尾
、石崎、志海苔)の戸長に任命
南茅部町史 下巻
(〔郷土の警察年表〕)
10・ 6
亀尾
警察駐在所建築成る。
恵山町史
(〈道道41号函館恵山線〉)
通称日浦洞門をくぐり、豊浦・大澗・中浜の市街地を通り女那川・川上から日和山の峠を越え函館市に入り蛾眉野・鉄山・
亀尾
函館市史 銭亀沢編
(志苔村)
このほか志苔村民は村外の坂ノ下、女名ノ沢、嘴止鷲、川原続(
亀尾
村)、石倉沢(銭亀沢村か)に計二二筆の耕地
戸井町史
([霊山、丸山の話])
[霊山、丸山の話] 戸井村と旧
亀尾
村(現函館市)の境に標高四〇八米の丸山という山がある。
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